南にある河川跡を掘り下げています。石とともに、土器が出土するので慎重に作業します。
終盤をむかえ、北側の遺構も急ピッチで調査を進めています。
竪穴状の遺構から完形の土器が出土しました。壊さないように取り上げました。
南にある河川跡を掘り下げています。石とともに、土器が出土するので慎重に作業します。
終盤をむかえ、北側の遺構も急ピッチで調査を進めています。
竪穴状の遺構から完形の土器が出土しました。壊さないように取り上げました。
竪穴状の遺構からは、約4500~5000年前の縄文時代中期の土器や石器が、たくさん出土しています。
調査も中盤になり、遺構の掘り下げも進んでいます。週末には説明会があるので、特に力が入っているようです。
12日の土曜日には、調査説明会を開催しました。地元の人をはじめ、県内から60人以上の参加がありました。
季節がら、3時過ぎると日の光がきつくて土の色が見えにくくなってきました。
7区北側の竪穴住居の床面を出しました。カマドはあまり残存状況が良くなく、痕跡をとどめる程度でした。
11月12日に、調査区が狭く駐車場も無いので、事前申し込みで調査説明会を開催しました。ご近所の方々をはじめとして、25名ご参加いただきました。ありがとうございます。
調査も中盤にはいり、遺構の掘り下げも進んでいます。竪穴状遺構からは遺物が出土しています。
調査区の層序も記録します。深い場所は地表から1.5m以上を測るので、計測も大変です。
押しつぶされたように出土した土器です。そのまま取り上げられるよう注意深く掘っています。はたして、うまくいったでしょうか?。
調査も終盤です。8区北側の調査も順調に進行しております。近世の大きな遺構がありましたが、掘り下げるとそれほど深くない土坑でした。
地元の山形第一小学校の6年生約30人が見学に来てくれました。歴史の勉強の一助となり、歴史に興味を持ってくれると嬉しいですね。
7区南側の調査も順調に進み、全景写真を撮影しました。
馬出に伴う堀跡や土橋よりも北側は城外となりますが、馬出範囲と同じく中世に位置づけられる柱穴・土坑や溝状遺構が確認され、精査・記録作業を行いました。
土橋・堀の調査では、基底近くまで掘り下げても人力で引き抜けないほど深く打ち込まれた杭を、チェーンブロックで可能な限り取り上げました。
土橋・堀南半の完掘状況です。古い段階の土橋に伴う杭(10月3日~7日のHP調査速報を参照)が南北方向に並んでいます。これらの杭も極力回収し、調査を終了しました。ご協力いただいた皆様に感謝申し上げます。
遺構の検出が終わったので、ドローンによる写真撮影を行いました。正面に見える山は鳥海山です。
遺構の検出が終了しました。次は見つかった遺構を図面に書いていきます。遺構の位置を計測する2人と図面を書く1人の3人1組で進めていきます。
遺構の掘り下げに入りました。ここでは、昔の人の住居とみられる場所です。土器が出土するので丁寧に掘っていきます。
表土除去が終了したので、次は遺構を検出するため地面をきれいに削っていきます。土の色や質の違いを探します。
土の色や質の違いから柱の穴やごみ捨て穴かと思われる昔の痕跡が見つかりました。消えないように白線を引きました。
遺構の検出が終了し、ローリングタワー(高さ約6m)の上から調査区全体の写真を撮影しました。南からの写真です。来週からは、いよいよ遺構を掘り下げいく予定です。
HPの9月5日~9日調査速報で紹介した、馬出部分の近代溝と近世整地層・旧表土層を掘り下げた状況です。鶴ヶ岡城が営まれる以前の遺構が写真左側で確認されました。
今週は土橋南半の調査と並行して、馬出部分の遺構精査も進めました。柱穴、土坑、溝状遺構などが見つかっています。
重複する土坑の土層断面です。この切り合い関係に代表されるように、真っ黒な土が堆積した遺構よりも、淡いグレーの土が堆積した遺構の方が相対的に古いようです。
今週は調査最終週となりますので、遺物の回収を進めました。この場所からは大量の遺物が出土するためここまで掘り下がりました。
調査区全体に広がる河川跡の底面は、20cm程度の石の層になっています。その直上から遺物が多く出土することが多いようです。ここからは、かめの口縁が見つかりました。
後半の調査区もこれで終了です。前半とあわせて5か月続いた調査が終わりました。調査に協力いただいたすべての皆様に御礼申し上げます。