
掘立柱建物は穴の中に柱の根元を入れ、その隙間を埋め戻して柱を固定します。

柱が放置された場合、根元の部分は地中で腐り、埋め土とは異なる土質の痕跡となります。
写真の真ん中に柱状の痕跡が見られます。

地域の小学生が授業で見学に訪れ、その柱穴の地層の違いを見てもらいました。

2区の南端で検出された竪穴住居から柱の部材が原型を留めた状態でみつかりました。
水が豊富な土地のため、木製品の残りが非常に良い遺跡です。

3区の中央から竪穴住居が検出されました。
3、4区からは竪穴住居跡が3棟、掘立柱建物跡が5棟、井戸跡3基が見つかっています。
今後の調査が楽しみです。

台風に追われながら空中写真撮影を行いました。
これで1、2区の調査は終了となります。
今回は蝉田遺跡の整理室からこんにちはです。
蝉田遺跡は村山市にある奈良・平安時代の遺跡で、9世紀後半から10世紀初頭の土師器や須恵器、そして木製品などが出土しています。

3月の報告書刊行に向けて、整理室では作業が大詰めをむかえ、一番大きな須恵器の大甕の実測を行っています。

様々な出土品の中から、文字の書かれた土器を紹介します。
たくさんの墨書土器が出土しましたが、中でも最も多いのは「定」という文字です。約30点以上確認できました。
当時の人の筆遣いがはっきりと残っています。

墨で書いた墨書土器だけでなく、土器に文字を刻んだ刻書土器もあります。
これは小型の壺の側面に「佛(ほとけ)」という字が書かれています。
遺跡の役割を考える上で重要な遺物となりそうです。

1区の配石の下からは多くの遺物が出土します。
お墓の可能性を視野に入れて、発掘を進めていきます。

以前掲載した縄文時代の終わり頃の土坑の完掘写真です。
底面には周溝がめぐっていました。

11区の石組を掘りあげて綺麗にしました。

4×5inの大判カメラで撮影しました。

現状では石組は二段残っていますが、この上に最低もう一段積み上がっていた痕跡があります。
写真の手前方向が一昨年調査した三の丸の堀跡ですが、石組は堀に直接繋がっておらず、段状になっているようなので、次週拡張して確認します。

平面図を作成し、完掘した遺構の標高を記録します。
遺構が重なりあっているのでより新しい遺構から掘り下げ・記録を行い、終えた所から古い遺構を調査します。

調査区を南北に通る溝を記録用のベルトを残して掘り下げています。
遺構に堆積した土と地山の砂の間に、酸化鉄の厚い層ができていました。

井戸底の側壁として曲物が埋め込まれていました。
傍らには板状の木製品が見えます。

20日(土)には、前半調査の現地説明会を開催しました。

約60名のお客様にご参加いただき、調査員も説明に熱が入ります。

1区北側の川跡から木製の鍬が出土しました。
一部欠けてはいますが、全体の形がわかる資料です。

同じ川跡から長頸瓶が出土しました。
近辺で同じ個体と思われる破片も出土しており、接合が楽しみです。

1区の竪穴住居の柱穴から、柱が原型を留めた状態で出土しました。
床面から1mほどの深さまで打ち込まれていました。

土坑から弥生時代前期と考えられる遺物が出土しました。

遺物がどのように出土したのかを図化している様子です。

11区の防空壕跡を掘り下げました。
L字状になっています。手前が入り口です。

11区の南壁の西端です。
調査区の三方には元の地権者さんのお父様が積んだ土地境界の石組があり、南側の石組の下から古い大きな石組が見つかりました

丸い大きな川原石を並べ、角を打ち欠いて上に石がしっかり載るように加工されています。
この石組の向こう側(写真上方向)は三の丸の堀です。
いつの時代のものなのか、今後慎重に調査を進めます。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research