「鶴ヶ岡城跡第4次」カテゴリーアーカイブ

鶴ヶ岡城跡第4次(8月15日~19日)


空撮後に堀跡西岸の上面を少しずつ削り、馬出の入り口に至る土橋部分の精査を行いました。


土橋部分の南側の状況です。前週の調査速報にあげた1枚目の写真と比べて見てください。堀岸の杭列が胴木近くまで続くことが判明しました。杭列の背後に薄い板材を添え、拳大の丸石を詰めているようです。


土橋の中央部から北側にかけての状況です。北側も南側と同様に杭列背後の板材や丸石が上面で確認できますが、中央部は上面に丸石があまりなく一段掘り下げると認められるという違いがあります。


鶴ヶ岡城跡第4次(8月8日~12日)


南側の堀岸には、傾斜が急な立ち上がり部分に土留めの乱杭がたくさん打ち込まれていました。堀の傾斜が上がりきったところに敷かれた太く長い横木は、「胴木(どうぎ)」と呼ばれる石垣の基礎材です。


堀跡内の崩落石を検出し、崩落石がない堀跡北側の一部で堀底を確認した状態で2回目の空撮委託を実施しました。撮影直前に調査区全体の清掃を仕上げます。


空撮写真をもとに、堀跡を真上から見た画像を作成しました(上が北)。左側は標高の違いを色分け表示したもので、崩落石が堀底(一番濃い青色)よりだいぶ高く、堀の上層に埋まっていることがわかります。
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鶴ヶ岡城跡第4次(8月1日~6日)


今週は堀跡の重機掘削が完了し、土層断面の記録をとった後、堀岸の精査・検出などを行いました。


乱杭が南北方向に並ぶ堀跡西岸で、江戸時代の陶磁器碗が出土しました。写真手前は氷裂菊花文の染付が施された肥前磁器碗で、完全なかたちに近い状態で残っていました。


馬出側の堀跡南岸では、黒色漆塗りの椀が見つかりました。外面には赤色漆で家紋が描かれています。藩士など庄内藩ゆかりの品かもしれません。


鶴ヶ岡城跡第4次(7月25日~29日)


石積み列南側の加工石材について、裏側の小石を除去したところ、釉薬を施した明治時代の瓦片が出土しました。加工石材の多くは背後の奥行きが短く、石垣にみられる石材の扱い方と異なります。


前週の断ち割り調査結果を踏まえ、近代の整地層と馬出(うまだし)に伴う堀跡の堆積層を重機で掘り下げています。堀跡の南側(馬出側)では、上層で崩落石が確認されました。


堀跡の土層断面を記録後、掘り残し部分を除去して崩落石の全容をあらわにしました。南北方向に大ぶりの石が7個ほど並んで出土し、馬出のある南側からではなく西側から落ちたような状況に見えます。


鶴ヶ岡城跡第4次(7月19日~22日)


石積み列の背後を直交方向に断ち割って、構築方法や下層の確認を行いました。金峯石(きんぼういし)の加工石材を並べた南側と、河原石のみを並べた北側の2箇所を掘り下げました。


北側の石積み列背後を断ち割ると、江戸時代の磁器片を含む堆積層(写真左側の下層)が確認されました。上部を覆う整地層からは幕末前後の瓦片が出土し、石積み列が近代に属すると判明しました。


近代整地層の下で確認された堆積層(写真左)の西側では、盛土で覆われた杭列(写真中央)が南北方向に並んでいました。堆積層は二の丸大手馬出の堀跡で、杭列が堀岸の乱杭と考えられます。


鶴ヶ岡城跡第4次(7月11日~15日)


南北方向に並ぶ石積み列のうち南側約6mは、「金峯石(きんぼういし)」と呼ばれる地元産の花崗岩(かこうがん)をブロック状に加工した石材が据えられていました。


金峯石の加工石材が並ぶ部分を真横から見た画像です。石積み列のすぐわきに矢板が打ち込まれているので、実際は真横から見づらい状況ですが、写真をもとに3次元計測すると、このように画像化できます。
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石積み列の評価をめぐって、城郭石垣について造詣が深い東北芸術工科大学の北野博司先生に調査指導をお願いしました。ご教示いただいた点を踏まえ、精査を進めます。


鶴ヶ岡城跡第4次(7月4日~8日)


調査区西辺(県道側)の土留め矢板から外れて、石積み列が検出されました。石積み列の裏側には、握りこぶしより小さな石が詰め込まれています。


石積み列はところどころ壊され、とくに北側では石の抜き取られた箇所が目立ちますが、調査区全体にわたって南北方向にまっすぐ並んでいます。


遺構検出が完了したところで空撮を実施しました。今回発見した石積み列(写真左下)は、荘内神社を取り囲む鶴ヶ岡城跡本丸堀の東辺に平行して位置しています。


鶴ヶ岡城跡第4次(6月27日~7月1日)


調査区の環境が整ったところで、重機による表土掘削を実施しました。調査区が狭いので、比較的小型の重機でも調査区幅の半分以上がふさがってしまいます。


バックホーのバケットが届く4~5mずつ調査区幅の半分だけ掘り、土層断面の記録後に残り半分を掘り下げていきました。


表土除去が完了した場所から、人力で丁寧に土を削り、遺構がないか確認していきます。


鶴ヶ岡城跡第4次(6月20日~24日)


仮設土留工事のほか、調査区の環境整備を進めました。単管パイプで足場を組み、安全施設として仮囲いを設置しています。


電柱から電線を引き込んでコンセントボックスを設置しました。これで水中ポンプを使った調査区の排水が可能になります。


測量で使用する基準点の設置も実施しました。設置作業中は重機の振動等で誤差が生じないように、手掘りで表土を掘り下げています。


鶴ヶ岡城跡第4次(6月16日~17日)


調査現場(写真中央)は、荘内神社の大鳥居(写真左)のすぐ近くです。鶴ヶ岡城二の丸の出入り口にあたる場所で、「馬出(うまだし)」という防御施設の堀と土塁が見つかると予想されます。


東西幅4mの狭い調査区で地表下3m近くまで掘り下げる可能性があるため、表土掘削前に長さ9m以上の矢板を圧入する土留工事を行いました。これで調査区壁が崩れる心配はありません。


仮設土留工事が終盤にさしかかってきたタイミングで発掘作業員の雇用を開始しました。来週から表土掘削を開始する予定です。