馬出に伴う堀跡や土橋よりも北側は城外となりますが、馬出範囲と同じく中世に位置づけられる柱穴・土坑や溝状遺構が確認され、精査・記録作業を行いました。
土橋・堀の調査では、基底近くまで掘り下げても人力で引き抜けないほど深く打ち込まれた杭を、チェーンブロックで可能な限り取り上げました。
土橋・堀南半の完掘状況です。古い段階の土橋に伴う杭(10月3日~7日のHP調査速報を参照)が南北方向に並んでいます。これらの杭も極力回収し、調査を終了しました。ご協力いただいた皆様に感謝申し上げます。
馬出に伴う堀跡や土橋よりも北側は城外となりますが、馬出範囲と同じく中世に位置づけられる柱穴・土坑や溝状遺構が確認され、精査・記録作業を行いました。
土橋・堀の調査では、基底近くまで掘り下げても人力で引き抜けないほど深く打ち込まれた杭を、チェーンブロックで可能な限り取り上げました。
土橋・堀南半の完掘状況です。古い段階の土橋に伴う杭(10月3日~7日のHP調査速報を参照)が南北方向に並んでいます。これらの杭も極力回収し、調査を終了しました。ご協力いただいた皆様に感謝申し上げます。
HPの9月5日~9日調査速報で紹介した、馬出部分の近代溝と近世整地層・旧表土層を掘り下げた状況です。鶴ヶ岡城が営まれる以前の遺構が写真左側で確認されました。
今週は土橋南半の調査と並行して、馬出部分の遺構精査も進めました。柱穴、土坑、溝状遺構などが見つかっています。
重複する土坑の土層断面です。この切り合い関係に代表されるように、真っ黒な土が堆積した遺構よりも、淡いグレーの土が堆積した遺構の方が相対的に古いようです。
土橋北半の調査を終え、今週は9月下旬から少しずつ掘り下げを行っている土橋南半の記録・精査を中心に進めました。
土橋南半上層の掘り下げ状況を馬出側(南側)から撮影した写真です。写真左側は、積み上げられた丸石を除去し、重ねて立て据えた板材の設置面まで掘り下げました。
反対側から撮影した写真です。板材は南端に至るまで土橋全体に立て並べられ、中央付近(写真手前)では土圧で東側へ大きく傾いていることがわかりました。
土橋北半の掘り下げは終盤を迎え、一番低い位置に設置された土留め板の取り上げ作業を行いました。
杭を打ち込み背後に木の枝を横たえた”しがらみ”が、土圧で傾いた土留め板の裏に隠れていました。杭の頭は土橋のなかの深い位置にあり、丸石積みよりも古い構造物と考えられます。
しがらみを備えた黄色ラインの盛土の左側は、丸石積みの土橋(赤色ラインより上の右側)を構築する前の堀の堆積層で、黄色ライン盛土が古い時期の土橋の痕跡と考えられます。
土橋北半の下層で確認された”しがらみ”の平面的な広がりを記録した後で、南北方向に断ち割って掘り下げを行いました。
しがらみより下は、大部分が写真右側から続く堀の堆積層と判明しました。土橋は、元々堀として広く掘削されていたところに、江戸時代のある時期に構築したものと考えられます。
土橋北端の土層断面です。上層は土留め板の脇に充填した土橋の盛土で、下層は土橋構築前に堆積した堀の砂層と考えられます。
土橋の北半分について、記録をとりながら掘り下げを進めました。上層では盛土が比較的見られましたが、中層より下は丸石の積み上げを中心に構築しています。
写真中央の杭列より左側(土橋の本体部分)では、積み上げられた丸石を除去すると砂層になります。堀(写真右側)に面する杭列間では、下層近くにしがらみ状の小枝が広がります。
杭列の裏側には、積み上げた丸石が崩れないように横長の板材を6~7段重ねて立て据え、長細い板材を等間隔に立て並べています。板材は釘などで固定していないようです。
先週のHPで紹介した近代の溝は、一部堀南岸まで及んでいます。写真左下の横木は動かされている可能性が高くなりましたが、この西側(写真右下)に攪乱されていない胴木の痕跡が残存していました。
馬出部分の東側には、近代の溝による破壊を辛うじて免れた土坑が確認されました。土層の堆積状況を記録したうえで覆土を掘り下げています。
近代の溝上層と近世の遺構を完掘した状況です。近代の溝の胴木付近で大きな金峯石が2つ見つかり、堀南側の上層で並んで出土した金峯石と一連のものかもしれません。
堀南岸で見つかった胴木とその周辺に散布する礫の前後関係を確認するために、トレンチを設定しました。
馬出部分の遺構検出作業を実施しました。右側の灰色の部分がガラス片等の出土する近代の溝です。近世の遺構は大半がこの溝によって壊されているようです。
土橋部分は先週の雨で一部が崩落してしまいました。安全のために土橋上から掘り下げを行なっています。杭に番号を書いた荷札を付けました。
大きな金峯石を搬出した後、南側の堀の下層を掘り下げました。土層の堆積状況を記録するため、矢板側を幅1mほど掘り残しています。
堀の底面は、南端の胴木から2mほど平坦な範囲があり、その北側から急角度で深くなります。急傾斜面の始まる付近が乱杭を密に打ち込んでおり、しがらみ状の枝が確認されました。
二の丸大手馬出の土橋が検出されるなど想定外の重要な発見があったことから調査期間が延長になりました。調査事務所の賃借を延長できなかったため、別の場所に移転します。
堀の下層を調査するため、南北方向に並んで出土した大きな金峯石(きんぼういし)を移動式のクレーンで吊り上げました。一番大きなもの(長軸100cm程度)で重さは1トン近くありました。
調査区外の離れた位置から吊り上げる必要があり、隣接する裁判所や市役所の屋上をはるかに越える高さまでブーム(竿部分)を伸ばして石を搬出しています。
搬出した石は、調査区向かい側の鶴岡公園敷地に置いています。石の大きさを間近で感じられるだけでなく、石を割るために彫られた「矢穴(やあな)」など当時の加工の痕跡をくわしく観察できます。