「鶴ヶ岡城跡第4次」カテゴリーアーカイブ

鶴ヶ岡城跡第4次(9月20日~22日)


土橋の北半分について、記録をとりながら掘り下げを進めました。上層では盛土が比較的見られましたが、中層より下は丸石の積み上げを中心に構築しています。


写真中央の杭列より左側(土橋の本体部分)では、積み上げられた丸石を除去すると砂層になります。堀(写真右側)に面する杭列間では、下層近くにしがらみ状の小枝が広がります。


杭列の裏側には、積み上げた丸石が崩れないように横長の板材を6~7段重ねて立て据え、長細い板材を等間隔に立て並べています。板材は釘などで固定していないようです。


鶴ヶ岡城跡第4次(9月12日~16日)


先週のHPで紹介した近代の溝は、一部堀南岸まで及んでいます。写真左下の横木は動かされている可能性が高くなりましたが、この西側(写真右下)に攪乱されていない胴木の痕跡が残存していました。


馬出部分の東側には、近代の溝による破壊を辛うじて免れた土坑が確認されました。土層の堆積状況を記録したうえで覆土を掘り下げています。


近代の溝上層と近世の遺構を完掘した状況です。近代の溝の胴木付近で大きな金峯石が2つ見つかり、堀南側の上層で並んで出土した金峯石と一連のものかもしれません。


鶴ヶ岡城跡第4次(9月5日~9日)


堀南岸で見つかった胴木とその周辺に散布する礫の前後関係を確認するために、トレンチを設定しました。


馬出部分の遺構検出作業を実施しました。右側の灰色の部分がガラス片等の出土する近代の溝です。近世の遺構は大半がこの溝によって壊されているようです。


土橋部分は先週の雨で一部が崩落してしまいました。安全のために土橋上から掘り下げを行なっています。杭に番号を書いた荷札を付けました。


鶴ヶ岡城跡第4次(8月29日~9月1日)


大きな金峯石を搬出した後、南側の堀の下層を掘り下げました。土層の堆積状況を記録するため、矢板側を幅1mほど掘り残しています。


堀の底面は、南端の胴木から2mほど平坦な範囲があり、その北側から急角度で深くなります。急傾斜面の始まる付近が乱杭を密に打ち込んでおり、しがらみ状の枝が確認されました。


二の丸大手馬出の土橋が検出されるなど想定外の重要な発見があったことから調査期間が延長になりました。調査事務所の賃借を延長できなかったため、別の場所に移転します。


鶴ヶ岡城跡第4次(8月22日~26日)


堀の下層を調査するため、南北方向に並んで出土した大きな金峯石(きんぼういし)を移動式のクレーンで吊り上げました。一番大きなもの(長軸100cm程度)で重さは1トン近くありました。


調査区外の離れた位置から吊り上げる必要があり、隣接する裁判所や市役所の屋上をはるかに越える高さまでブーム(竿部分)を伸ばして石を搬出しています。


搬出した石は、調査区向かい側の鶴岡公園敷地に置いています。石の大きさを間近で感じられるだけでなく、石を割るために彫られた「矢穴(やあな)」など当時の加工の痕跡をくわしく観察できます。


鶴ヶ岡城跡第4次(8月15日~19日)


空撮後に堀跡西岸の上面を少しずつ削り、馬出の入り口に至る土橋部分の精査を行いました。


土橋部分の南側の状況です。前週の調査速報にあげた1枚目の写真と比べて見てください。堀岸の杭列が胴木近くまで続くことが判明しました。杭列の背後に薄い板材を添え、拳大の丸石を詰めているようです。


土橋の中央部から北側にかけての状況です。北側も南側と同様に杭列背後の板材や丸石が上面で確認できますが、中央部は上面に丸石があまりなく一段掘り下げると認められるという違いがあります。


鶴ヶ岡城跡第4次(8月8日~12日)


南側の堀岸には、傾斜が急な立ち上がり部分に土留めの乱杭がたくさん打ち込まれていました。堀の傾斜が上がりきったところに敷かれた太く長い横木は、「胴木(どうぎ)」と呼ばれる石垣の基礎材です。


堀跡内の崩落石を検出し、崩落石がない堀跡北側の一部で堀底を確認した状態で2回目の空撮委託を実施しました。撮影直前に調査区全体の清掃を仕上げます。


空撮写真をもとに、堀跡を真上から見た画像を作成しました(上が北)。左側は標高の違いを色分け表示したもので、崩落石が堀底(一番濃い青色)よりだいぶ高く、堀の上層に埋まっていることがわかります。
※画像をクリックすると拡大して表示されます


鶴ヶ岡城跡第4次(8月1日~6日)


今週は堀跡の重機掘削が完了し、土層断面の記録をとった後、堀岸の精査・検出などを行いました。


乱杭が南北方向に並ぶ堀跡西岸で、江戸時代の陶磁器碗が出土しました。写真手前は氷裂菊花文の染付が施された肥前磁器碗で、完全なかたちに近い状態で残っていました。


馬出側の堀跡南岸では、黒色漆塗りの椀が見つかりました。外面には赤色漆で家紋が描かれています。藩士など庄内藩ゆかりの品かもしれません。


鶴ヶ岡城跡第4次(7月25日~29日)


石積み列南側の加工石材について、裏側の小石を除去したところ、釉薬を施した明治時代の瓦片が出土しました。加工石材の多くは背後の奥行きが短く、石垣にみられる石材の扱い方と異なります。


前週の断ち割り調査結果を踏まえ、近代の整地層と馬出(うまだし)に伴う堀跡の堆積層を重機で掘り下げています。堀跡の南側(馬出側)では、上層で崩落石が確認されました。


堀跡の土層断面を記録後、掘り残し部分を除去して崩落石の全容をあらわにしました。南北方向に大ぶりの石が7個ほど並んで出土し、馬出のある南側からではなく西側から落ちたような状況に見えます。


鶴ヶ岡城跡第4次(7月19日~22日)


石積み列の背後を直交方向に断ち割って、構築方法や下層の確認を行いました。金峯石(きんぼういし)の加工石材を並べた南側と、河原石のみを並べた北側の2箇所を掘り下げました。


北側の石積み列背後を断ち割ると、江戸時代の磁器片を含む堆積層(写真左側の下層)が確認されました。上部を覆う整地層からは幕末前後の瓦片が出土し、石積み列が近代に属すると判明しました。


近代整地層の下で確認された堆積層(写真左)の西側では、盛土で覆われた杭列(写真中央)が南北方向に並んでいました。堆積層は二の丸大手馬出の堀跡で、杭列が堀岸の乱杭と考えられます。