現在の山形県庁は、熊ノ前(くまのべ)遺跡という縄文時代の大きなムラの上に建っています。
県庁舎を建てるとき実施した発掘調査では、たくさんの遺構や遺物が出土しました。
このたび、それらの遺物の一部を、県庁のロビーで展示することになりました。
土器や石器を使っていた縄文時代から、県庁が建っている現代まで、約4,500年の時の流れを感じてみてください。
開催期間は、平成18年6月26日から7月14日午後3時までです。
現在の山形県庁は、熊ノ前(くまのべ)遺跡という縄文時代の大きなムラの上に建っています。
県庁舎を建てるとき実施した発掘調査では、たくさんの遺構や遺物が出土しました。
このたび、それらの遺物の一部を、県庁のロビーで展示することになりました。
土器や石器を使っていた縄文時代から、県庁が建っている現代まで、約4,500年の時の流れを感じてみてください。
開催期間は、平成18年6月26日から7月14日午後3時までです。

近世・近代の?石組み井戸跡です。

調査区を西に少し上っていくと稲荷神社があります。幕末にたてられた献燈がひっそりと置かれています。頂上には2棟のお堂があります。

遺跡の完掘状況を写真におさめる際に、調査区全体の土色がきれいに出るよう、面整理を行いました。

調査の結果、遺構・遺物の検出数が希薄であったため、事業関係者を対象にした説明会を実施しました。

ラジコンヘリを使用して、空中から遺跡の全景を撮影してもらいました。

A区の西側がほぼ掘りあがりました。溝に区画された中には、建物や井戸があったようです。

庇付きの大きな掘立柱建物跡です。右側には井戸跡があります。

いよいよ梅雨入りです。これからは、こんな風景が続くのでしょか。

小さなほうの調査区(B区)の遺構検出が終わりました。
右下の黒い部分は川跡と考えられます。

遺構の検出作業も終わり、大きなほうの調査区(A区)から遺構の掘り下げに入りました。
幅2〜3mの溝跡から掘りはじめました。

溝の中には砂や泥が交互に溜まり、何度も繰り返して水が流れていたようです。
底には鉄分が付着しています

昔の道路面から、近世陶磁器が出土しました。馬の絵が描かれており、道路の年代を知る貴重な資料です。

南側の帯曲輪から縄文調査区まで、断面観察のため長いトレンチを入れました。帯曲輪の上から眺めると壮大な景色です。

調査区の周囲に掘っている溝から、大きな須恵器のかけらがまとまって出土しました。

今週で重機による表土除去が終わりました。

遺構検出の作業風景です。石灰でマーキングしているところです。

今週の作業で、埋設された土器がまとまった状態で検出されました。
現在のところ、北東に位置する沢跡(SG1b)から9基ほど確認されています。

遺構の精査作業に入りました。遺構の半分を掘り下げ(半截作業)、残った半分の土の色や質の違いから埋まった状況や遺構の新旧関係を把握します。

土坑跡(SK10)の半截状況です。遺構内からは、土器の底部や凹石が出土しました。

梁行き2間、桁行き4間の南北に長い掘立柱建物跡です。F区東端部では全部で4棟の掘立柱建物が見つかりました。
北東部の2棟が東西棟で南西にあるこの建物を含む2棟が南北棟です。

掘立柱建物跡が見つかったF区から出土した土器は多くはありません。
台の付いた須恵器の坏は建物の時代のものとなるようです。平安時代の初め頃ではないかと考えられます。

地面を柱状に残していた箇所を掘り下げて地層の重なり具合を調べました。

溝跡(SD5)の調査を行っています。
人が中に入っているこの溝は調査区を東西に流れる溝です。

SD5の断面を撮影しました。