
3区、4区で多くの遺構が見つかっています。
現在900基近く確認できています。

雨の日を見計らって遺物の整理作業も行っています。

1区の川跡から出土した土器を洗浄したところ、墨書土器が多く見つかりました。
「王」の字が書かれているものが多いようです。

「埋文やまがた 57号」を公開しました。
ご一読下さい。
9月24日(土)に上竹野遺跡第2次調査の発掘調査説明会を行います。
縄文時代から弥生時代初めにかけての、住居跡などの遺構が見つかりました。
遺物は同時代に使われた縄文土器や弥生土器、石器などの生活用具類が出土しています。

捨て場からは弥生時代の土器がたくさん出土しています。

弥生時代の竪穴住居跡を掘り下げている様子。
調査説明会案内(PDF)
日時:平成28年9月24日(土) 14:00~(雨天決行)
調査遺跡:上竹野遺跡
場所:最上郡大蔵村大字清水字上竹野(地図)

1区の遺物包含層を掘り下げ、ようやく遺構検出面までたどり着きました。
以前お伝えした集石遺構の他に、土坑と思われる黒いシミが確認できます。

遺物包含層がどのように形成されたのかを、背中の後ろで感じる太陽の暑さに耐えながら図面に記録していきます。

11区の石組部分に延長トレンチを入れた所、50cmほど犬走り状の平らな部分があり、その先が堀跡であることを確認しました。

11区の平面図作成作業です。

11区の完掘状況です。ユニットハウスが建っている場所からその奥の道路までが堀跡に当たります。
調査区の中央にある切り株は、樹齢約150年の樅の木です。

10区の完掘状況です。
残念ながら、ほとんどの遺構は以前建っていた建物の基礎工事で壊されていましたが、一部近世近代の廃棄土坑が残っていました。

北西角の住居跡を掘り下げています。
土器片が集中している部分があり、8世紀頃の土師器の甕や坏が出土しています。

調査区には大小の石が集中している部分があり、馬見ヶ崎川の旧河道であった時の中州のような部分ではないかと思われます。
人為的な痕跡だけでなく、かつての地形もうかがえます。

掘立柱建物は穴の中に柱の根元を入れ、その隙間を埋め戻して柱を固定します。

柱が放置された場合、根元の部分は地中で腐り、埋め土とは異なる土質の痕跡となります。
写真の真ん中に柱状の痕跡が見られます。

地域の小学生が授業で見学に訪れ、その柱穴の地層の違いを見てもらいました。

2区の南端で検出された竪穴住居から柱の部材が原型を留めた状態でみつかりました。
水が豊富な土地のため、木製品の残りが非常に良い遺跡です。

3区の中央から竪穴住居が検出されました。
3、4区からは竪穴住居跡が3棟、掘立柱建物跡が5棟、井戸跡3基が見つかっています。
今後の調査が楽しみです。

台風に追われながら空中写真撮影を行いました。
これで1、2区の調査は終了となります。
今回は蝉田遺跡の整理室からこんにちはです。
蝉田遺跡は村山市にある奈良・平安時代の遺跡で、9世紀後半から10世紀初頭の土師器や須恵器、そして木製品などが出土しています。

3月の報告書刊行に向けて、整理室では作業が大詰めをむかえ、一番大きな須恵器の大甕の実測を行っています。

様々な出土品の中から、文字の書かれた土器を紹介します。
たくさんの墨書土器が出土しましたが、中でも最も多いのは「定」という文字です。約30点以上確認できました。
当時の人の筆遣いがはっきりと残っています。

墨で書いた墨書土器だけでなく、土器に文字を刻んだ刻書土器もあります。
これは小型の壺の側面に「佛(ほとけ)」という字が書かれています。
遺跡の役割を考える上で重要な遺物となりそうです。

1区の配石の下からは多くの遺物が出土します。
お墓の可能性を視野に入れて、発掘を進めていきます。

以前掲載した縄文時代の終わり頃の土坑の完掘写真です。
底面には周溝がめぐっていました。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research