石組の井戸の完掘状況です。
ガラス瓶が出てきたので、数十年前まで使われていたかもしれません。
土を盛って整地したかのような場所にトレンチを設定しました。
南北方向に伸びる大きな溝跡でした。
隣の3区の表土掘削も行いました。
手前(北側)は建物の基礎で撹乱を受けて状態は良くないようですが、
奥(南側)は残存状況が良い可能性があります。
石組の井戸の完掘状況です。
ガラス瓶が出てきたので、数十年前まで使われていたかもしれません。
土を盛って整地したかのような場所にトレンチを設定しました。
南北方向に伸びる大きな溝跡でした。
隣の3区の表土掘削も行いました。
手前(北側)は建物の基礎で撹乱を受けて状態は良くないようですが、
奥(南側)は残存状況が良い可能性があります。
新たに調査開始したL-2区です。
検出した遺構には白く線を引きわかりやすくしています。
遺構精査の前には測量を行い、遺跡の位置の基準となる杭を設置します。
K-2区で検出された、井戸と思われる石組みの1段目の図面を作成しています。
この後、見えている石を外して2段目の調査に取り掛かります。
石組の2段目の図面を作成しています。
石組の中央にはロの字型の溝のような部分がありますが、
これは組まれていた木材が腐り、周辺の土や石だけが残って空洞になったものです。
清水遺跡8次の写真を撮影する前に、水をまいて地面を見やすくします。
遺構の断面の作図をしています。
遺構を掘り下げています。
だいぶ深い穴だったようです。
この後写真を撮影し、埋め戻した後この付近に迂回路を作ります。
4区斜面部分での遺物検出作業状況です。
足場が悪く、おびただしい数の土器片から足の置き場に苦労しながらの作業です。
足・腰がとても疲れます。。
4区斜面部での作業状況です。
一列に並んで、斜面上部から下へ向かって遺物を検出しながらその広がりをとらえているところです。
4区東側での遺物検出状況です。
土を少しずつ削るようにして掘り下げ、土器・石器などの遺物を見つけて行きます。
4区東側の斜面部で見つかった深鉢といわれる甕形土器の優品です。
底が抜かれているようで、もしかしたら甕棺として使われたものかも知れません。
縦型の石匙が出土した状況です。
石匙は携帯用の万能ナイフと言われています。
横型の石匙が出土した状況です。
土偶頭部、目鼻のしっかりした表現と丸く空いた口が特徴的な中期中葉の典型的な土偶です。
頭から5mほど離れた地点から出土した土偶体部。
広げた腕、女性を表す乳房、胸からお腹にかけての隆起線と沈線、
おへそと思われる穴などが特徴です。
花笠まつりに当センターのビィーちゃんカカシも参加しました。
他の兄弟と三体でパレード会場をねり歩く姿は中々の迫力です。
ビィーちゃんの押し手は当センターの三浦専務理事。
センター職員の有志も県庁の職員と一緒に踊りました。
8月2・3日に舟形町で開催された「縄文炎祭」で弓矢体験をやってきました。
会場は「女神の丘」です。
メインイベントである野焼きの準備がされていました。
個性豊かな土器や土偶が並んでいます。
センター担当の弓矢体験には地元の小学生たちが参加してくれました。
舟形っ子達はみんな弓矢も上手です。
会場には舟形町のめがみちゃんも来てました。
大人気です!
川西町のNPO国際交流協会さんの主催で、山形大学に留学しているの皆さんが遺跡見学に来て下さいました。
国籍も様々なようで、国際色豊かです。
今日は「縄文の女神」(レプリカ)も国際親善のために八幡一遺跡まで出張です。
水戸部主任の解説でしっかり勉強していただきました。
座学の後は、炎天下の現場へ。
35度を超える今年一番の猛暑日でしたが、遺物の出土状況などを見ていただきました。
見学の最後はちょっとだけ発掘体験。
ワンピースにハイヒール、日傘を差しての体験となった方もいらっしゃいましたが、
土器片が出土するたびに大喜びの皆さんでした。
調査区の中央部分の遺構検出状況を撮影しました。
調査区北半部の遺構検出状況を撮影しました。
深さ3.4mの素掘りの井戸を掘り下げました。
中はとても涼しいです。
井戸の完掘状況を撮影しました。
水がどんどん湧き出てくるので大急ぎです。
暑い中、たくさんの小学生が参加してくれました。
自分たちの住んでいる尾花沢市にたくさんの遺跡があることにびっくり!
「石器で野菜切り体験」では、はじめ使う石のナイフにおそるおそる触っていました。
慣れてしまえば、ザクザク野菜を切っていました。
汗だくになりながら火起こし体験です。
みんなが頑張ってくれたので、ほとんどのグループで火をつけることが出来ました。
勾玉作り体験では、みんな思い思いの形を作成。
夏休みのいい思い出になればいいなあ~。
本格的に遺構精査作業に入りました。
石組の井戸を半分掘って、土の堆積状況を確認しました。
石組の井戸が使われなくなった後に桶を埋めたものです。
底に栓がありました。