「2015(H27)年度」カテゴリーアーカイブ

山形城三の丸跡第16次(9月7日~11日)

sannomaru16_20150907_1
今週は大雨の影響で2日間しか調査ができませんでした。
雨の翌日は調査区の排水から始まります。

sannomaru16_20150907_2
先週ご紹介したM-1区の土坑です。土坑を埋めた土の中には、骨や炭の破片がたくさん含まれていました。現在掘り下げている途中ですが、まだまだ出てきそうです。

sannomaru16_20150907_3
こちらもM-1区で検出された土坑です。
底の方から石が大量に出てきました。どうやら廃棄されたもののようです。


羽黒神社西遺跡第2次(8月31日~9月4日)

hagurojinjyanisi_201500831_1
今週は、3区と4区で検出された遺構の精査と、東側の遺構検出を行いました。

hagurojinjyanisi_201500831_2
調査区の東側では、2基の小型のフラスコ状土坑のほか、数カ所の火が焚かれたと考えられる、赤色に変化した土壌を確認しました。

hagurojinjyanisi_201500831_3
フラスコ状土坑のなかに堆積した土層を半分掘り下げました。深さはすでに2m近くにまで達しています。土層を観察すると、土坑が埋められたり、天上が崩落したりしていることがわかりました。また、埋められた土の中からは、土器の破片や石器や大量の炭化物が混じっていることがわかりました。

hagurojinjyanisi_201500831_4
フラスコ状土坑の内部から空を見上げた写真です。内部は広いのですが、開口部は狭くなっています。当時も土坑の内部からはこのような空が見えていたのでしょうか?


山形城三の丸跡第17次(8月31日~9月4日)

No1
7区の作業も追い込みです。トータルステーションで遺構を計測して完掘状況の平面図を作成します。

No2
7区の竪穴住居跡の掘り下げ作業です。調査区内は先週完掘しましたが、調査区の壁面を掘り進め残土山ギリギリまで拡張しました。

No3
竪穴住居の完掘状況です。一辺約3m、深さは65cmです。北半分(写真左側)の床面に大量の焼土と炭化物が広がっているので、北壁にカマド跡があるのではと予想しましたが確認できませんでした。几帳面でキレイ好きな人が住んでいたのか、カマドを壊して綺麗に掃除した後に埋め戻したようです。


山形城三の丸跡第16次(8月31日~9月4日)

sannomaru16_20150831_1
快晴が続いた夏が終わり、秋雨の季節になりました。
現場ではブルーシートで養生して雨に備えています。

sannomaru16_20150831_2
P-2区東側の遺構検出状況です。後世の影響をあまり受けておらず、遺構の残りが良い調査区です。検出作業中に古代の遺物が見つかりました。

sannomaru16_20150831_3
M-1区では遺構の掘り下げと記録作業を進めています。
骨と炭を埋めた土坑や石を集めた土坑が見つかっています。


上竹野遺跡(8月24日~28日)

uwatakeno_20150824_1
先週末から後半調査区の掘削を開始しました。写真は1区の面整理の様子です。遺構検出面から土器・石器が出土しています。

uwatakeno_20150824_2
3区SF60(遺物包含層)の掘り下げの様子です。
土器が多量に出土しています。

sannomaru16_20150824_3
SF60直下から土器と共に、土偶が頭のない状態で出土しました。弥生時代初めの結髪土偶(けっぱつどぐう)と考えられ、その特徴は肩のパット状の突起と円柱状の脚部です。県内で確認されている類例は、釜淵C遺跡(真室川町)や石田遺跡(寒河江市)が挙げられます。


羽黒神社西遺跡第2次(8月24日~28日)

hagurojinjyanisi_201500824_1
今週は、3区と4区の南側で検出された遺構について、半分掘り下げで、どのように遺構が埋まっていったのかを調べました。尾根上では、いまのところ4基のフラスコ状土坑が発見されました。

hagurojinjyanisi_201500824_2
くもりや雨がちな天気でしたが、晴れの日はまだセミが鳴いているものの、もう秋の空にうつり変わっています。

hagurojinjyanisi_201500824_3
フラスコ状土坑の掘り下げを行っています。フラスコ状土坑とは、実験で使うようなフラスコ容器のように、末広がりになった穴のこと指します。現在掘り下げているフラスコ状土坑は、人の体がすっぽりと入るくらい掘り下げても、まだ底には到達していません。

hagurojinjyanisi_201500824_4
フラスコ状土坑以外の遺構から、「掻器(そうき)」あるいは、「エンドスクレイパー」と呼んでいる石器が発見されました。右下が刃になりますが、丸みを帯びた刃を使って、引いて掻き取ったり、あるいは押し掻いたりする道具です。毛皮の内側に着いた肉や脂肪を掻き取る「皮なめし」などに、用いられました。


山形城三の丸跡第17次(8月24日~28日)

sannomaru17_20150824_1
7区の全景です。
7区の調査も終盤となり、遺構の掘り下げもかなり進みました。

sannomaru17_20150824_2
7区ST71竪穴住居跡です。平安時代のものと見られます。床面まで掘り下げました。一辺は3mほどと小型ですが残存状況も良く、壁面は高さ50cmほどが遺存しています。残念ながら、現在のところ遺物は出土しておりません。

sannomaru17_20150824_3
2区の御殿堰で囲まれた部分を重機で掘り下げました。三の丸の堀跡で、左壁面黄色い斜面部分は堀の立ち上がり部分です。深さは3mほどとあまり深くはありません。堀底から江戸時代後期頃の陶磁器や木材片が出土しました。


山形城三の丸跡第16次(8月24日~28日)

sannomaru16_20150824_1
P-2区東側の遺構検出を行いました。調査区中央の砂と石の部分は溝とみられ、溝の周囲や上に暗い土色の土坑があるのが確認できます。

sannomaru16_20150824_2
P-3区南側の調査区は遺構が集中しています。
重なりあった遺構の関係を確認しながら、慎重に調査を進めます。

sannomaru16_20150824_3
M-1区では土坑から染付の碗が出土しました。
遺構の時期の判断材料となる貴重な遺物です。