3区、4区で多くの遺構が見つかっています。
現在900基近く確認できています。
雨の日を見計らって遺物の整理作業も行っています。
1区の川跡から出土した土器を洗浄したところ、墨書土器が多く見つかりました。
「王」の字が書かれているものが多いようです。
1区の遺物包含層を掘り下げ、ようやく遺構検出面までたどり着きました。
以前お伝えした集石遺構の他に、土坑と思われる黒いシミが確認できます。
遺物包含層がどのように形成されたのかを、背中の後ろで感じる太陽の暑さに耐えながら図面に記録していきます。
11区の石組部分に延長トレンチを入れた所、50cmほど犬走り状の平らな部分があり、その先が堀跡であることを確認しました。
11区の平面図作成作業です。
11区の完掘状況です。ユニットハウスが建っている場所からその奥の道路までが堀跡に当たります。
調査区の中央にある切り株は、樹齢約150年の樅の木です。
10区の完掘状況です。
残念ながら、ほとんどの遺構は以前建っていた建物の基礎工事で壊されていましたが、一部近世近代の廃棄土坑が残っていました。
北西角の住居跡を掘り下げています。
土器片が集中している部分があり、8世紀頃の土師器の甕や坏が出土しています。
調査区には大小の石が集中している部分があり、馬見ヶ崎川の旧河道であった時の中州のような部分ではないかと思われます。
人為的な痕跡だけでなく、かつての地形もうかがえます。
掘立柱建物は穴の中に柱の根元を入れ、その隙間を埋め戻して柱を固定します。
柱が放置された場合、根元の部分は地中で腐り、埋め土とは異なる土質の痕跡となります。
写真の真ん中に柱状の痕跡が見られます。
地域の小学生が授業で見学に訪れ、その柱穴の地層の違いを見てもらいました。
2区の南端で検出された竪穴住居から柱の部材が原型を留めた状態でみつかりました。
水が豊富な土地のため、木製品の残りが非常に良い遺跡です。
3区の中央から竪穴住居が検出されました。
3、4区からは竪穴住居跡が3棟、掘立柱建物跡が5棟、井戸跡3基が見つかっています。
今後の調査が楽しみです。
台風に追われながら空中写真撮影を行いました。
これで1、2区の調査は終了となります。
1区の配石の下からは多くの遺物が出土します。
お墓の可能性を視野に入れて、発掘を進めていきます。
以前掲載した縄文時代の終わり頃の土坑の完掘写真です。
底面には周溝がめぐっていました。
11区の石組を掘りあげて綺麗にしました。
4×5inの大判カメラで撮影しました。
現状では石組は二段残っていますが、この上に最低もう一段積み上がっていた痕跡があります。
写真の手前方向が一昨年調査した三の丸の堀跡ですが、石組は堀に直接繋がっておらず、段状になっているようなので、次週拡張して確認します。
平面図を作成し、完掘した遺構の標高を記録します。
遺構が重なりあっているのでより新しい遺構から掘り下げ・記録を行い、終えた所から古い遺構を調査します。
調査区を南北に通る溝を記録用のベルトを残して掘り下げています。
遺構に堆積した土と地山の砂の間に、酸化鉄の厚い層ができていました。
井戸底の側壁として曲物が埋め込まれていました。
傍らには板状の木製品が見えます。
20日(土)には、前半調査の現地説明会を開催しました。
約60名のお客様にご参加いただき、調査員も説明に熱が入ります。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research