竪穴状遺構のそばにある、
焼けた土が40cm前後の範囲に集中している焼土遺構について、
その堆積状況の図化を行いました。
この焼土遺構は、焼土と木炭、土器片が
1つの層のなかで混在していました。
大型竪穴遺構のなかの堆積土について、図化しました。
図化は、遺構の東西方向と南北方向の土層について行います。
東西方向と南北方向の堆積の仕方を、それぞれ検討し、
遺構がどのような過程で埋まっていったのかについて調べていきます。
遺構番号の登録をしているところです。
検出したすべての遺構に、「柱穴」や「溝跡」等、遺構の特徴に応じて
記号と番号をつけていきます。
A区内にある溝跡を精査しているところです。
精査の結果、出土した遺物や他の遺構との関係性から、この溝跡の年代は比較的新しいもので、
(当初、予想された)奈良・平安時代のものではないことがわかりました。
この溝跡の特徴や年代について、調査員が作業員の皆さんに解説しているところです。
写真の部分は溝跡が屈曲している部分で、水の流れを調節するため大きくふくらんでおり、
底からは陶磁器片が出土しました。
多くの遺構が重なっているところでは、
トレンチを設定して遺構の重複関係を確認してから掘り下げます。
写真左の現代の用水路に沿って不定形の遺構が見つかっています。
U字溝を設置する前の自然の水路の痕跡と考えられます。
土のうを多めに置いて、台風4号に伴う風雨に備えます。
掘立柱建物跡の精査をしています。
竪穴住居跡の遺物検出状況です。
2軒(写真左下)が重なり合っています。
住居跡のカマド付近からは土師器の皿が
ほとんど完全な状態で検出されました。
以前お伝えしたカマドが確認された住居跡(ST105)の掘り下げ作業に入りました。
住居の上面は削られていますが、床面の遺物はしっかり残っていました。
住居跡から土師器の甕や坏がまとまって出土しました。
写真の右下には、須恵器(すえき)の坏が確認できます。
石製模造品(RQ204)が出土した遺構の平面図を作成している様子です。
遺物の出土位置や遺構の形を縮尺20分の1で作成していきます。
SG1谷跡の谷底の遺物出土状況です。
谷底の中央部の細長い凹部の流路内に集中しています。
なかには、半分以上原形をとどめた縄文土器と共に、
写真左側に、長さ約30cm~40cmの折れた石棒が先端を下にして出土しました。
今回の調査で石棒や石刀は、斜めに立って出土することが多く、
お祭りの際に地面に突き刺したものかもしれません。
谷底の砂地にへばり付いて出土した縄文土器は、最も古い土器群の一つで、
縄文時代晩期の中頃(約2,500年前)と考えられます。
谷の周辺にはこの頃から人が住み始め、この時期の終わり頃(約2,300年前)には谷が埋没したようです。
約200年間に渡る当時の人々の生活品や装飾品の廃棄場、水辺のお祭りの場として利用された事が分かりました。
調査は今週で終了です。
谷跡からは、縄文土器や石器の他に、ヒスイ製の勾玉や玉、精巧な石刀や石棒、
土偶や土冠など当時の多様な遺物が出土し、大きな成果を得ることができました。
調査範囲に板を敷いて、長い道をつくっています。
キャリアダンプが通った時に、遺構を壊さないようにするためです。
溝跡を1cmの深さで掘り下げていきました。
土器や石器などが見つかっています。
一日の最後には、作業をした調査範囲にシートを掛けておきます。
これで雨が降っても大丈夫です。今週は特に暑く、作業が大変でした。
作業員の皆さんもお疲れ様でした。
調査区内に残っていたサクランボの切り株を重機で運び出しています。
今週も暑いです。東の空を見上げると、雲がもくもくと湧いてきました。
夏の現場にふさわしい空です。
一列に並んで面整理を行っています。この日の最高気温は35度を超えました。
遺構を探すために慎重に地面を削っています。
重機械を使って、表土を掘り下げました。
この地区特有の真っ黒な土です。
表土除去が終わりました。
大きな川跡が蛇行している様子が見られます。
遺構を見つけるため、ていねいに土を削ります。
土の色の違いが見えてきました。
月曜日には委託業務による基準点測量が行われました。
いよいよ、本格的な遺構の精査に入って行けそうです。
今週もとても暑くなりました。
酷暑の中の面整理作業となりましたが、
作業員の皆さんのおかげで順調に進められています。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research