「庄内地方」カテゴリーアーカイブ

水林下遺跡第3次(7月11日~15日)


フェーン現象による酷暑の中での作業となりました。C区北では、引き続き遺構の精査を行いました。


大きな土坑が発見されました。その土坑の上には、縄文時代中期初頭の北陸系の土器(約5,500年前)とくぼみ石、すり石が出土しました。土坑は縄文時代の土坑と考えられます。まだ、何のために掘られた土坑なのかは、わかりません。


旧石器の調査区でも、引き続き石器が出土するⅥ層の掘り下げを行いました。


旧石器の調査区では、立正大学准教授・下岡順直さんによる、自然放射線や宇宙線の被曝総量を測ることで、土器などの土製品・岩石などの年代測定を行う熱ルミネッセンス用の試料採取が行われました。水林下遺跡では、旧石器が出土したⅥ層を中心に試料を採取し、堆積層の年代を明らかにすることを目的としました。


鶴ヶ岡城跡第4次(7月11日~15日)


南北方向に並ぶ石積み列のうち南側約6mは、「金峯石(きんぼういし)」と呼ばれる地元産の花崗岩(かこうがん)をブロック状に加工した石材が据えられていました。


金峯石の加工石材が並ぶ部分を真横から見た画像です。石積み列のすぐわきに矢板が打ち込まれているので、実際は真横から見づらい状況ですが、写真をもとに3次元計測すると、このように画像化できます。
※画像をクリックすると拡大して表示されます


石積み列の評価をめぐって、城郭石垣について造詣が深い東北芸術工科大学の北野博司先生に調査指導をお願いしました。ご教示いただいた点を踏まえ、精査を進めます。


鶴ヶ岡城跡第3次(7月11日~15日)


西調査区で見つかった堀の上層部分を重機で掘り下げました。ここから約1mほど人力で掘り下げる予定です。


東調査区でも、先週お伝えした新しい大溝を重機で掘り下げました。現地表から4~5mの深さで、本来の堀の堆積土が現れました。堀底はここからさらに数十cm下になると思われます。掘り出した土は、手渡し、ベルトコンベア、一輪車等を駆使して運び出していきます。


堀の堆積土から岩牡蠣の殻が見つかりました。


水林下遺跡第3次(7月4日~8日)


先週の水林下遺跡での調査は、鳥海山山頂に雲が沸き上がっていましたが、フェーン現象のため、炎天下のなかでの作業となりました。


土が乾燥してしまうので、水まきをしながら調査を行いました。


C区北では、引き続き遺構の精査を行いました。


旧石器の調査では、鎌で丁寧に削りながら、石器が含まれる地層の上部を掘り下げていきました。


鶴ヶ岡城跡第4次(7月4日~8日)


調査区西辺(県道側)の土留め矢板から外れて、石積み列が検出されました。石積み列の裏側には、握りこぶしより小さな石が詰め込まれています。


石積み列はところどころ壊され、とくに北側では石の抜き取られた箇所が目立ちますが、調査区全体にわたって南北方向にまっすぐ並んでいます。


遺構検出が完了したところで空撮を実施しました。今回発見した石積み列(写真左下)は、荘内神社を取り囲む鶴ヶ岡城跡本丸堀の東辺に平行して位置しています。


鶴ヶ岡城跡第3次(7月4日~7月8日)


堀の範囲を確かめるためにトレンチ調査を実施しました。その結果、調査区の大半を、堀が埋まった後に掘られた大きな溝が縦断していることが分かりました(写真赤色部分)。江戸時代の七ツ蔵の堀は、調査区の西半部にわずかに残されているようです(写真青色部分)。


新しい段階の大溝は幅4m、深さ1.5mほどです。堆積の状況から、一気に埋め戻されているようです。


新しい大溝の壁面に、江戸時代の堀の立ち上がりが確認できました。他の場所のトレンチ調査の結果、大溝よりも堀の方が深いことが分かりました。堀の下層部分は大溝に壊されずに残っている可能性があります。


水林下遺跡第3次(6月27日~7月1日)


日本の後期旧石器時代の石斧研究に造詣が深い、早稲田大学の長﨑潤一先生が、本遺跡の調査・研究に関する調査指導のため、現地にいらっしゃいました。調査事務所にて、出土した石斧やほかの石器資料に関して、様々なご意見を伺うことができました。


長崎先生からは、これまで発見された同時期の遺跡に比べて、本遺跡が海に近かったり、鳥海山の溶岩地形に立地することが、非常に特徴的であることを指摘されました。


蒸し暑い梅雨空の中、C区北の遺構の精査を行いました。


遺構精査では、まず遺構のなかにある地層を半分だけ掘り下げ、どのように遺構が埋まっていったかについて調べます。そのあと、写真撮影や三次元計測用の写真撮影、土の性質について記録していきます。記録が終われば、残りの土を掘り下げて完掘します。


鶴ヶ岡城跡第4次(6月27日~7月1日)


調査区の環境が整ったところで、重機による表土掘削を実施しました。調査区が狭いので、比較的小型の重機でも調査区幅の半分以上がふさがってしまいます。


バックホーのバケットが届く4~5mずつ調査区幅の半分だけ掘り、土層断面の記録後に残り半分を掘り下げていきました。


表土除去が完了した場所から、人力で丁寧に土を削り、遺構がないか確認していきます。


鶴ヶ岡城跡第3次(6月27日~7月1日)


礎石の根石を全て掘り上げました。いよいよ堀跡の調査に入ることができます。根石を埋めるために掘りこんだ穴の壁面や底面の土の状況から、堀の範囲が推定できます。


調査区を地中側から見てみました。土の柱のように見えるのが掘りこんだ穴です。土が黒っぽい範囲が堀跡と考えられます。堀にあたる部分は地盤が悪かったためか、より深く掘りこんで根石を入れていたようです。


西側の調査区でも堀の範囲や深さを確認するためのトレンチを設定しました。人が集まっているあたりで堀の西側の立ち上がりが見つかりました。写真手前側の調査区端まで堀が広がっているようです。


堀西側立ち上がり付近の最下層から白磁の皿が出土しました。この他、17世紀前半頃を上限とする陶磁器が出土しています。


水林下遺跡第3次(6月20日~24日)


C区北の遺構検出状況を、ドローンを用いて撮影・記録しました。C区北では、縄文時代や平安時代の遺構が確認されています。


C区東に残る旧石器が出土する調査区では、旧石器が出土するローム層の上面に杭跡などの遺構が確認されたため、遺構の精査を行いました。


その旧石器の調査区からは、昨年度出土した県内最古の磨製石斧と同じ石材の石片が出土しました。石片の表面には研磨面が認められます。残念ながら、石斧と接合はしませんでしたが、水林下の地で、石斧のメンテナンスを行っていた可能性があります。