今週は雨の日が多く、テントを張って作業しました。早く安定した天気になって欲しいです。
上大石家から井戸状の遺構が出土しました。直径約1メートルの大きさです。
尻高家の調査を終了しました。写真奥の調査区の端には溝状の遺構があります。道路の下に続いているので、どのように巡るのか確認できませんでした。
今週は雨の日が多く、テントを張って作業しました。早く安定した天気になって欲しいです。
上大石家から井戸状の遺構が出土しました。直径約1メートルの大きさです。
尻高家の調査を終了しました。写真奥の調査区の端には溝状の遺構があります。道路の下に続いているので、どのように巡るのか確認できませんでした。
調査区の南側に新しい工事用道路が完成しました。
今まで工事用道路のあった北側の調査に入ります。テープを張って調査区の範囲を決めました。
雨の続いた一週間でしたが何とか表土除去が終わりました。来週から拡張部分約1,500平方メートルの本格的な調査に入ります。
今週は雨の日が多く、現場での調査ができない日もありました。こんな時、普段は手の回らない事務所周辺の草刈りを行ってすっきりさせました。
雨の影響もあって、日がたつと土の色がくすんでしまうので、再度削り直してから調査にあたります。
調査区からは弥生時代と平安時代の土器が出土していますが、住居跡は見つかっていません。遺構の分布状況などから考えて、写真奥の畑の方が遺跡の中心であったようです。
B区拡張部分の遺構検出作業です。削っている土は、粘土あり、砂ありで変化に富んでいます。
今週は天候が不順で雨の日が続きました。気温も急に下がり、遺構を掘る手が冷たくなってきます
雨続きでコンディションが悪いため、ブルーシートを極力かけたまま狭い範囲で精査を行っています。
7c区は、昨年の一次調査における3区に接する地点ですが、昨年の調査時と同様、縄文時代の遺構が点在しています。この柱穴からは、底部壁面から縄文土器片が検出されました。
7a区は、中央の微高地部分に遺構が集中しています。中世の柱穴群に混じって、縄文時代の遺構も散見されます。溝跡または河跡から、縄文土器片が検出されました。
説明会には、約50名の見学者が訪れました。遺跡の概要 立地と環境、主な遺構、主な遺物について説明し、最後に全体のまとめと質問に答える時間を取りました。晴天に恵まれ絶好の説明会となりました。
今回の調査では、中世から近世の建物跡や土壙・溝跡・井戸跡などが検出されました。そして溝跡からは鎌倉時代とおもわれる甕の一括資料が出土しました。その他、いろいろな陶磁器片が出土しており、これからの研究や分析が期待されます。
週の前半は好天に恵まれ、発掘調査も順調に進みました。
木曜日の雷雨により、金曜の朝はご覧のような状況に。排水を終えてて土が乾くまで、この箇所には入れそうもありません。
調査区の地盤は砂地の部分が多いので、水捌けは良好です。後方の低地が乾く間、ほかの遺構を掘り下げていきます。
今週は調査区の真ん中にあたる、C区とD区の遺構を主に掘り下げました。
D区の東側角の地区から、土器の破片がまとまって出土しました。大形の破片も含まれおり、どういう場所だったのか、さらに調査を進めていきます。
C区では竪穴住居跡が確認されました。奈良時代〜平安時代のものと考えられます。遺物のほかに、焼けた土の跡も見つかりました。今後が楽しみです。
埋設土器のあった河跡(SG2)の下から柱跡や貯蔵穴と思われる遺構が検出されました。写真右側の黒く広がっている遺構は河岸です。遺構は河跡から15m程の範囲に分布しており、河跡から遠ざかるにつれて遺構が希薄になっていきます。
北西側の調査状況です。写真右側の黒く帯状に伸びる遺構は河跡(SG1)です。西側には、シルト層と砂利の地盤が広がっています。河跡すぐそばの安定したシルトの地盤には、柱穴跡や土坑など遺構が分布しています。
写真は柱穴(SK327)の半截状況です。矢印で示した範囲は柱の跡(アタリ)になります。この柱穴跡は、周りに石を組んで、柱をしっかり固定していたことが窺えます。
1001号建物の掘り方を断ち割りました。径30cmほどの柱痕跡(アタリ)が明確に認められました。しかし、確認面からの深さは浅く、この地域が建物のあった時代より数十cmも切り取られ、残念ながら多くの遺構はすでに削り取られたことが明らかとなりました。