旧石器が出土する調査の掘り下げが続きました。旧石器が出土する地層の下部まで掘り下げましたが、まだまだ石器が出てきます。
C区北の西側に位置する古代の竪穴建物跡の記録作業を行いました。一眼レフカメラで、遺構の堆積状況を記録しました。
23日~25日にかけて、水林下遺跡第3次発掘調査の一般公開を行いました。水林下遺跡に興味を持っていただいた方々が、発掘調査の見学に訪れました。
1日の作業が終わりには、事務所に向かう途中、女鹿漁港から日本海に沈む夕陽を見ることができます。この日、夕陽はウロコ雲に隠れていましたが、海面には夕映えがきれいでした。水平線の右側には、飛島を望むことができました。
お盆が明け、調査を再開しました。まだまだ暑い日のなかでの遺構検出が続きます。
下層の様子を探るため、一部の区画を掘り下げています。ここからは平安時代の遺物が出土します。
今週は、ひたすらジョレンで7区の遺構検出作業を行いました。ところどころ攪乱を受けていますが、近世の遺構の残存状況は良さそうです。また、昨年度に大型の竪穴住居を検出した6区のすぐ隣なので、平安時代の遺構も期待できそうです。
まだ遺構がハッキリと見えません。来週前半も遺構検出作業を行う必要がありそうです。
空撮後に堀跡西岸の上面を少しずつ削り、馬出の入り口に至る土橋部分の精査を行いました。
土橋部分の南側の状況です。前週の調査速報にあげた1枚目の写真と比べて見てください。堀岸の杭列が胴木近くまで続くことが判明しました。杭列の背後に薄い板材を添え、拳大の丸石を詰めているようです。
土橋の中央部から北側にかけての状況です。北側も南側と同様に杭列背後の板材や丸石が上面で確認できますが、中央部は上面に丸石があまりなく一段掘り下げると認められるという違いがあります。
調査もいよいよ終盤です。
調査の終了した西調査区は重機による埋戻しが始まりました。
東調査区では、堀底の確認作業を行ないました。
西調査区の堀とほぼ同じ深さで堀底を確認しています。
お盆休みが明け、新たな調査区の表土掘削に入りました。
8区の南側はコンクリートの建物基礎により破壊されていましたが、北側は残っているようです。
8区は土捨て場の関係上、半分に分けて調査します。まず、南側半分の調査に入りました。重機で表土を掘削した後、ジョレンで面整理作業を行いました。
先週は大雨の影響を受け、旧石器の調査区がみごとに水没してしまいました。
調査区に溜まった水をポンプでくみ上げて、安全を期すために崩落してしまった壁を直しました。
C区北で検出された、古代の竪穴建物跡とみられる遺構の調査を行いました。遺構の周囲には小さな溝がめぐるようです。
旧石器の調査では、引き続き石器が出土する地層の掘り下げを行いました。これまでに、300点以上の石器が出土しました。
秋田大学の林信太郎先生が現場にお越しになり、旧石器時代の堆積環境や地形について、いろいろとご教示いただきました。
縄文研究者として著名な岡村道雄さんが、現場見学にいらっしゃいました。水林下遺跡の旧石器や古代の遺構について、興味深く見学されていました。
南側の堀岸には、傾斜が急な立ち上がり部分に土留めの乱杭がたくさん打ち込まれていました。堀の傾斜が上がりきったところに敷かれた太く長い横木は、「胴木(どうぎ)」と呼ばれる石垣の基礎材です。
堀跡内の崩落石を検出し、崩落石がない堀跡北側の一部で堀底を確認した状態で2回目の空撮委託を実施しました。撮影直前に調査区全体の清掃を仕上げます。
空撮写真をもとに、堀跡を真上から見た画像を作成しました(上が北)。左側は標高の違いを色分け表示したもので、崩落石が堀底(一番濃い青色)よりだいぶ高く、堀の上層に埋まっていることがわかります。
※画像をクリックすると拡大して表示されます
東調査区で見つかった堀の土層断面です。近代の溝の壁面で堀の立ち上がりを確認しています。
調査区の南側では、堀の立ち上がりが近代の溝に壊されずに数十センチの幅で残っていました。
8月11日に一般の方を対象に発掘調査説明会を開催しました。
50名の方に参加していただきました。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research