A区の遺構が南側へ広がることから、調査区の拡張を行いました。区画溝がきれいに見つかりました。
新たに調査を開始する区域(B区)の範囲を設定しました。表土の下には硬い粘土層があり、四苦八苦です。
A区の遺構が南側へ広がることから、調査区の拡張を行いました。区画溝がきれいに見つかりました。
新たに調査を開始する区域(B区)の範囲を設定しました。表土の下には硬い粘土層があり、四苦八苦です。
調査区の壁際で溝の断面を確認しました。溝の壁際に溜まった砂と地山がよく似ているため、断面で確認しながら掘り下げていきます。
溝の底から青磁が出土しました(写真右下)。
溝から出土した遺物です。左から珠洲焼の甕、中国産の青磁、珠洲焼の擂鉢です。青磁の内面にはヘラで唐草の模様が彫られています。溝は13世紀ごろに埋まったと考えられます。
石組の井戸を完掘したことろです。2m以上掘り下げました。掘方に係わった方々、暑い中ご苦労様でした。
下層の遺構(溝跡)です。現在の検出面から90cm下から縄文時代の遺構が検出されました。土器も数点出土しています。
珍しい来跡者です。日本カモシカが里から山に戻る途中、調査区周辺に現れたようです。しばらく調査の様子をそっとのぞいていました。
暑い日が続く中、遺構検出作業を進めています。この写真はB区のものです。
調査区の全景写真です。
D区にトレンチを設定し5センチほど掘り下げたところ、たくさんの土師器・須恵器片が出土しました。出土した場所には、箸を立てています。
現在の山形県庁は、熊ノ前(くまのべ)遺跡という縄文時代の大きなムラの上に建っています。
県庁舎を建てるとき実施した発掘調査では、たくさんの遺構や遺物が出土しました。
このたび、それらの遺物の一部を、県庁のロビーで展示することになりました。
土器や石器を使っていた縄文時代から、県庁が建っている現代まで、約4,500年の時の流れを感じてみてください。
開催期間は、平成18年6月26日から7月14日午後3時までです。
近世・近代の?石組み井戸跡です。
調査区を西に少し上っていくと稲荷神社があります。幕末にたてられた献燈がひっそりと置かれています。頂上には2棟のお堂があります。
遺跡の完掘状況を写真におさめる際に、調査区全体の土色がきれいに出るよう、面整理を行いました。
調査の結果、遺構・遺物の検出数が希薄であったため、事業関係者を対象にした説明会を実施しました。
ラジコンヘリを使用して、空中から遺跡の全景を撮影してもらいました。
A区の西側がほぼ掘りあがりました。溝に区画された中には、建物や井戸があったようです。
庇付きの大きな掘立柱建物跡です。右側には井戸跡があります。
いよいよ梅雨入りです。これからは、こんな風景が続くのでしょか。
小さなほうの調査区(B区)の遺構検出が終わりました。
右下の黒い部分は川跡と考えられます。
遺構の検出作業も終わり、大きなほうの調査区(A区)から遺構の掘り下げに入りました。
幅2〜3mの溝跡から掘りはじめました。
溝の中には砂や泥が交互に溜まり、何度も繰り返して水が流れていたようです。
底には鉄分が付着しています
昔の道路面から、近世陶磁器が出土しました。馬の絵が描かれており、道路の年代を知る貴重な資料です。
南側の帯曲輪から縄文調査区まで、断面観察のため長いトレンチを入れました。帯曲輪の上から眺めると壮大な景色です。