
焼土層にトレンチを入れて、下の面(第2面)の確認を行いました。江戸時代の面と思われます。

学校建物の柱基礎の断ち割りを行いました。10~20cm大の丸石が詰められ、近世や近代の遺物が出土します。

第1面の調査を終了したため、重機で焼土層を掘削し、第2面を検出していきました。

焼土層にトレンチを入れて、下の面(第2面)の確認を行いました。江戸時代の面と思われます。

学校建物の柱基礎の断ち割りを行いました。10~20cm大の丸石が詰められ、近世や近代の遺物が出土します。

第1面の調査を終了したため、重機で焼土層を掘削し、第2面を検出していきました。

雨のあとなので、ブルーシートの上に溜まった水をくんでから作業を始めます
7区の掘り下げが始まりました。
9区南、11区ともに重機での掘削が終わり、こちらも人力で表面を削っていきます。

今週は掘り終えた平安時代の建物跡の床下から出土する遺物を回収し、建て替え前の柱穴などを探す作業を行いました。

建物の床面に掘られた穴からは、土師器の甕が立った状態で出土しました。

別の場所からは、古墳時代の須恵器が見つかりました。平安時代の建物とは数百年の開きがあります。

作業員さんの雇用開始式とオリエンテーションを行いました。

重機での表土掘削と並行して、人力で土を削っていきます。遺構が見つかった場所にはブルーシートを掛けていきます。

9区では遺構を掘り下げています。

7区も重機での掘削が終わりました。こちらも人力で土を取り除いていきます。

今週は雨の日が多い中、合間をぬって作業を進めました。住居とみられる建物跡など多くの遺構が明らかになってきました。

これは平安時代の建物の跡で、写真手前の角に多くの遺物が集中しています。また、複数回建て直しされたこともうかがえます。

焼土層がはっきりと見えるように掘り下げを行いました。

焼土層からは炭化した米の塊が多く出土します。戊辰戦争で焼失した米蔵に由来するものと思われます。

ドローンで、第1面の写真撮影を行いました。かつてここにあった、新庄北高校の建物基礎があちこちに見られます。建物によって壊されていない所には焼土層の広がりが確認されます。

作業員さんに雇用通知書を渡した後、オリエンテーションを行いました。

調査区の表土を重機で掘削していきます。

掘削が終わった地面を人力で平らに削っていきます。

調査区の中に、測量や記録の基準となるグリッド杭の設定を行いました。

北側から見た調査区です。校舎のコンクリート基礎と、その内側には柱を据えた基礎が並んでいます。

根石を入れた柱を据えるための基礎です。この上に礎石を置き、学校校舎の柱を建てたと思われます。

今週も遺構の精査が続きます。柱穴や住居など、古代の人々の多くの生活のあとが見つかっています。

古代の住居あとです。だいぶ小ぶりな建物となりますが、火を焚いたカマドのあとなども見つかっています。