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野田遺跡・下中瀬遺跡(7月31日~8月4日)


野田遺跡の調査区東側では古代の低湿地などの痕跡が発見されています。遺構の外郭線を雨で消えないように石灰で白線を引いています。


下中瀬遺跡の調査区中央部と西端部の上層(写真奥)には溝跡や墓坑などがあります。


下中瀬遺跡の調査区西端では近世の貨幣などが出土した遺構が見つかっており、遺構の底面などに炭が充満しています。墓坑であった可能性が推測されます。


八幡一遺跡第2次(7月31日~8月4日)


発掘調査は当初、7月末までの予定でしたが、狭い範囲の中で井戸跡が数基見つかっており、期間を延長して調査しています。
先週から掘り下げている井戸跡から井戸枠らしき板材が見つかりました。深さは2m以上になっています。


これは別な井戸跡で完全に水が出る前に掘るのをやめた状態のものです。完全に掘りあげた状態での深さは約180cmほどでした。


青空の下、東側の調査区の全体写真を撮影しました。天気も良く、絶好の撮影日和でした。


山形城三の丸跡第20次(7月24日~7月28日)


水場遺構の石組を取り除いて掘り下げたところ、別のL字状の石組が見つかりました。水場遺構の下にある溝にからむ石組のようです。


大手町の調査区の東側の調査を終了しました。
水場遺構、土坑、溝が見つかり、肥前・瀬戸美濃の陶器や印判手の磁器など近世~近代の遺物が出土しました。

 


野田遺跡・下中瀬遺跡(7月24日~7月28日)


野田遺跡の排水作業の様子です。
週末の集中豪雨により調査区が水没しました。
深いところは排水ポンプを総動員し汲み上げ、排水ポンプが入らない浅いところは作業員が柄杓(ひしゃく)で水を汲んでいます。


下中瀬遺跡の上層で検出された長方形状遺構です。
長さ約2mの平面形が長方形の長大な遺構が発見されました。
遺構の壁や底面付近には炭が充満し、周辺からは古銭(写真奥の箸のところ)が出土しました。形状や埋土の様子からお墓などの可能性もあります。


下中瀬遺跡は上層(ブルーシート部分と写真奥)と下層の2面の遺構検出面があることがわかり、今週は調査区西側(写真奥)にて上層の調査が終了したため、下層の遺構検出を行いました。


八幡一遺跡第2次(7月24日~7月28日)


西側調査区全体の写真を撮るために、土の表面を削ってきれいに掃除しています。


井戸跡と思われる遺構(いこう)の掘り下げを始めました。
当初の予想とは違い、かなり深くなりそうです。


この写真で掘り下げている遺構は、当初は井戸として掘ったものを途中でやめていることがわかりました。それでも深さは1.5mを超えています。


八幡西遺跡第2次(7月24日~7月28日)


今週も初日から2日連続の雨休み。
このパターンは7月でもう3度目です。
水はけの悪い低地はまた冠水してしまいました。


水中ポンプの24時間排水により、翌日には水位が下がりました。
電柱から引いた仮設電源に大いに助けられています。


週の半ばからは約600個の柱穴(小穴)の掘り下げを始めました。
調査も終盤を迎えています。


山形城三の丸跡第20次(7月18日~7月21日)


遺構の精査がはじまると、様々な作業を同時進行で行います。
調査区中央では遺構の掘り下げと平面図の作成、壁面では断面図の作成を行っています。


石組の水場遺構から17世紀初頭の肥前陶器の皿が出土しました。
他の遺構からも同様の皿が出土しています。


野田遺跡・下中瀬遺跡(7月18日~7月21日)


野田遺跡の一番南側の調査区(南区)の全景写真です。
南区では、写真手前が黒色土の低湿地、写真奥が微高地となっており、微高地の黄色地山土の上で大型の土坑などが複数発見されました。


下中瀬遺跡の溝跡の精査状況です。南北に延びる大型の溝跡で、調査区東側を流れる高瀬川に並行しています。時期は平安時代と考えられ、集落を区画する施設などの可能性もあります。


下中瀬遺跡の土坑の精査状況です。平安時代の土器がまとまって出土する浅めの土坑で、ゴミ捨て穴と考えられます。


八幡一遺跡第2次(7月18日~7月21日)


今週は雨で崩れた調査区壁面部分の補修から始めました。
梅雨の時期は水との戦いになります。


ようやく遺構を掘る作業が始まりました。
写真は、後世の撹乱を除去して、その下に残された遺構を出している様子です。
見つかった遺構は、土坑と思われるものが2基と柱穴1基です。