野田遺跡のSB1掘立柱建物跡です。今週は建物柱穴の完掘(柱穴の柱痕や埋め土を完全に掘り上げること)を行いました。
SB1掘立柱建物跡の柱穴の完掘状況です。柱穴中央部にはアタリ(柱根が存在していた部分)が残るものもありました。
今週はSE101井戸跡に近接するSK102土坑の完掘も行いました。この土坑からは斎串(いぐし)や火きり臼が出土しました。
※募集は終了しました。
ご協賛いただいた皆様、誠にありがとうございました。
公益財団法人山形県埋蔵文化財センター『研究紀要』の刊行事業等に賛同する企業・団体・個人などを対象に、事業に要する資金提供の賛同者を広く募集しています。
研究紀要協賛 趣意書(PDF)
【協賛の方法】
協賛金(寄付金)の提供
(法人その他の団体は1口1万円から、個人は1口3千円から)
【協賛金の使途】
『研究紀要』の刊行事業等にかかる経費(印刷製本費等)のうち、全国の図書館、博物館、大学等の研究機関等に無償で配布するものに要する経費
※このほか、埋蔵文化財の調査研究・理解促進に資するその他の普及啓発事業にも充てる場合があります。
【募集期間】
平成29年11月1日から平成29年12月28日まで
【税務上の取り扱い】
協賛金(寄付金)は、法人の場合は損金算入、個人の場合は所得控除の対象となります。
【その他】
研究紀要及び当センターホームページに協賛者名を掲載します。
【協賛の申込み方法】
「研究紀要協賛申込書」に必要事項をご記入のうえ、下記までご提出ください。
研究紀要協賛申込書(Word , PDF)
【お問合せ・お申込窓口】
(公財) 山形県埋蔵文化財センター
〒999-3246 山形県上山市中山字壁屋敷5608番地
TEL:023-672-5301 FAX:023-672-5586
E-mail:yac@yamagatamaibun.or.jp
野田遺跡の掘立柱建物跡です。先週の答えは、この写真の黄色の線と白色の線上の柱穴で構成された建物になります。黄色線の建物は、3×3間で、主軸がほぼ南北を向きます。白色線の建物は、2×3間で西側に1間拡張されたようで、主軸がやや西側に傾きます。白色線の建物の柱穴には柱痕が残るものが多く、黄色線の建物より新しいことから建替えが行われたものとみられます。
野田遺跡の調査風景です。今週は天気の良い日が続き、先週付け替え工事が終了した農道の下の調査も行いました。農道の下からは、平安時代(約1,150年前)の土器の底に、墨で字が書いてある墨書土器が2点出土しました(下の写真)。さて、何と書いてあるのでしょうか?
農道の下から出土した墨書土器です。2文字あるようです。墨書土器の文字には、人名や地名(所有者や所属)、吉祥文字(おめでたい文字)などが書いてある場合が多くあります。
2つ目の墨書土器です。少し字がくずしてあるかもしれません。当時は文字を知っているのは役人などがほとんどで、一般の集落では記号として認識されて書かれる場合もあったようです。
野田遺跡のSE101井戸跡の掘方(ほりかた)を掘り下げているところです。(井戸跡の井戸枠を設置した外側の部分を掘方[ほりかた]と言います。井戸は水が出る深さまで大きく掘って、その後井戸枠を設置し、その外側の掘方に土を埋めて井戸枠を固定したようです。)
野田遺跡の調査区北端の掘立柱建物群です。(調査区北端の中央部は調査区の中でも標高がやや高い地区で、掘立柱建物跡などの柱穴が発見されました。掘立柱建物跡は2×3間の大きさで、埋土が褐灰色の粘土であることが特徴的です。写真手前に丸い柱穴が直線で並んでいます。)
野田遺跡の調査区北端東側の溝跡と土坑群です。(調査区北端の標高が高い部分には掘立柱建物群などの柱穴群が集中しますが、その東側には柱穴群を区切るように溝跡が南北に走り、建物柱穴などは希薄になります[写真左]。更にその東側には直径約1m前後の土坑群が複数確認され[写真右]、大きな集落構成がうかがえます。)
野田遺跡のSE101井戸跡の土層記録作業の様子です。縦板の井戸枠内が狭いため、掘り方(井戸枠を設置するために掘った穴の部分)も掘って井戸の作り方を記録しています。
SE101井戸跡の掘り方から、底部に墨で文字が書かれた土器(墨書土器)が出土しました。文字は略字で墨が薄いところもあり、現時点でははっきりと判読できませんが、今後センターにある機械で赤外線をあてると明確になるかもしれません。
秋田県埋蔵文化財センターの遺跡廻りバスツアーの方々が野田遺跡に来跡されました。同じ出羽国でありながら、庄内地方と秋田県では古代の住居形態が異なっており、庄内地方では掘立柱建物跡主体であるのに対して秋田県では竪穴住居跡と掘立柱建物跡が併存することなどを紹介しました。
今回は平成27・28年度に発掘調査を行った上竹野遺跡(大蔵村)の整理室からです。
上竹野遺跡では、昨年の第2次調査で弥生時代の土器棺が発見されています。現在整理作業では、この土器棺の復元を進めているところです。
土器棺は、取り上げて洗浄しましたが、バラバラの破片となっています。まず、破片を並べて元の形を確認していきます。
破片のつながりを確認した後に、土器の底部から破片を接合し組みあげていきます。大型の土器なので2人がかりの作業です。
ほぼ全体の形がわかるようになりました。高さ50cmを超える大きな壺です。完成までもう少しです。