今週は、3区と4区の南側で検出された遺構について、半分掘り下げで、どのように遺構が埋まっていったのかを調べました。尾根上では、いまのところ4基のフラスコ状土坑が発見されました。
くもりや雨がちな天気でしたが、晴れの日はまだセミが鳴いているものの、もう秋の空にうつり変わっています。
フラスコ状土坑の掘り下げを行っています。フラスコ状土坑とは、実験で使うようなフラスコ容器のように、末広がりになった穴のこと指します。現在掘り下げているフラスコ状土坑は、人の体がすっぽりと入るくらい掘り下げても、まだ底には到達していません。
フラスコ状土坑以外の遺構から、「掻器(そうき)」あるいは、「エンドスクレイパー」と呼んでいる石器が発見されました。右下が刃になりますが、丸みを帯びた刃を使って、引いて掻き取ったり、あるいは押し掻いたりする道具です。毛皮の内側に着いた肉や脂肪を掻き取る「皮なめし」などに、用いられました。
お盆休みが終わり、今週からは昨年度の調査区の3区と4区の遺構検出作業を行いました。
3区と4区には、それぞれ黄褐色の粘土が盛られた、「盛り土遺構」が発見されていました。写真は3区の盛り土遺構です。この遺構の性格については、まだよくわかっていません。今回の調査で明らかにできるといいのですが…。
地表面を薄く削り、土の色や性質の違いがある部分を若干掘り窪めて、その違う部分が下に続いているかどうかを確認する作業を行いました。いくつか、「穴」と認識できるものがあることを確認しました。
8月19日から20日まで、東北学院大学文学部歴史学科の佐川正敏教授による、2年生を対象とした「考古学実習」が、羽黒神社西遺跡で行われました。実習生は、土の中からたくさん出てくる縄文時代中期の土器片や石器に興味津々のようでした。
5区のカクラン部の掘下げと、3層上面の検出を行いました。
5区の3層は、部分的にしか残ってませんでしたが、東側より縄文時代中期の遺物が多く発見されました。
1個体とみられる縄文土器が、横倒しになってつぶれた状態で発見されました。
今週は、おもに調査区の南側に当たる5区で調査を行いました。
5区の2層下部からは、口縁部付近に小さな孔が開けられた「有孔鍔(ゆうこうつば)付き土器」の破片が発見されました。この土器の表面には、一部分に赤や黒の色が残っており、彩色された可能性があります。
棒状の「ヘラ形石器」が発見されました。5区以外でも、これまでの調査でいくつか発見されていますが、上下両端部に残された痕跡から、ノミのような工具として使われた可能性が考えられます。
5区の東側では、山道の造成を免れた、1個体と考えられる土器片の集中部が発見されました。
6区の調査が一通り終わり、写真や平面図や断面図などの記録作業を行いました。
調査区の南側にあたる5区の調査を行いました。
5区は傾斜のきつい斜面地ですが、多数の縄文中期の遺物が発見されました。
3区の2層の除去が終わり、2層下位の遺構の検出を行いました。
5区の倒木によって動かされた土層の中から、小型の磨製石斧の一部が出土しました。蛇紋岩という特殊な石を素材にしています。蛇紋岩は、近隣では産出していないことから、遠くから運ばれてきたものと考えられます。
今週も、4区拡張区と3区拡張区の掘下げと遺構検出を行いました。4区は遺構がはっきりとしませんが、縄文時代中期の土器や石器がたくさん発見されました。
今週は、35度を超える、うだるような暑さの中での作業でした。こまめに水分と休憩を取り、熱中症に気を付けながら調査を進めました。
南側斜面の3区拡張区では、いくつかの土色変化部が認められました。何らかの遺構があるものと思われます。
4区拡張区の3層から、宮城県の加美町にある湯倉(ゆのくら)産と考えられる黒耀石のカケラが発見されました。黒耀石は他の石材に比べて割りやすく、また鋭利な縁辺が得られます。それに見た目も綺麗なので、当時はたいへん重宝された石器の石材であったことが考えられます。本遺跡ではこのカケラ以外にも、黒耀石製の石器がいくつか発見されています。
今週は、昨年度の調査区から東に4mほど延長した、狭い範囲の調査を行いました。
暑い夏の日差しの中での作業となりました。
3区の拡張区では、1基の石組遺構を検出しました。
この石組遺構は、どのような性格のものなのでしょうか?
トータルステーションという測量機械を用いて、発見された遺構の座標を測定し、遺構平面図を作成しました。
6区のクロボク土層の掘り下げが終わり、その下の4層の地層があらわになりました。多くはありませんが、柱の跡と思われる遺構がいくつか確認されました。
6区の遺構について半分掘り下げて、遺構に堆積した地層を調べ、遺構がどのように埋没したのかを検討しました。
昨年度調査を行った、4区東側を延長した範囲の調査を開始しました。調査前に造成された伐採木搬出の山道の跡や2層の地層から、縄文時代中期の土器や石器が沢山出土しました。
4区拡張区から出土した、玉髄(ギョクズイ)という半透明の岩石を素材として作られた矢じりです。シカの角などの先を押し込んで、小さなカケラを割り取る「押圧」というワザで、丹念に作られており、形が左右均等で、薄い出来上がりとなっていました。おそらく、石器づくりが上手なヒトの手によるものと考えられます。
今週も6区の東側のクロボク土層の掘り下げを行いました。
クロボク土層の下部から、押型文(おしがたもん)土器や沈線文(ちんせんもん)土器など、約7~8千年前にあたる縄文時代早期の土器片が出土しました。
クロボク土層の下部から、早期の土器片以外にも、石の矢じりが出土しました。
6月30日には、霞城学園高校の生徒と教員の方々が、発掘調査の見学にいらっしゃいました。みなさん実際の調査にふれながら、興味津々で調査員や教員の話しに聞き入っている様子でした。
今週は、北側の調査区である6区のクロボク土層の掘下げを行いました。
6区の西側のクロボク土層の下部から、縄文時代中期の深鉢形土器が横倒しの状態で出土しました。
この土器の出土状況から、クロボク土層の下部に土器が捨てられた時の地表面があったことが考えられます。
6区の南側から、楕円形の土坑が発見されました。土坑内の埋土の中間から、平安時代の茶碗(坏形の赤焼土器)が完形の状態で出土しました。
この土坑は、平安時代のお墓だったのでしょうか?
きれいな青空の中、測量作業の上空に、一筋の飛行機雲が見えます。
梅雨入り前の、貴重な青空かもしれません。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research