M-3区です。瓦と石が集中している場所が見つかりました。
記録のためベルト状に土を残し、両側を掘り下げています。
P-3区の石組遺構です。
週末の埋戻しに向けて記録作業も最終盤です。
P-3区の埋め戻しが始まりました。
来週からは新たな調査区で調査を始めます。
今週は、昨年度の調査区から東に4mほど延長した、狭い範囲の調査を行いました。
暑い夏の日差しの中での作業となりました。
3区の拡張区では、1基の石組遺構を検出しました。
この石組遺構は、どのような性格のものなのでしょうか?
トータルステーションという測量機械を用いて、発見された遺構の座標を測定し、遺構平面図を作成しました。
9区の調査も終盤です。
残りの遺構を完掘して記録を取れば終了です。
7区の遺構検出作業も並行して進めています。
北側は大きな礫(レキ)と砂が多く作業も大変です。
南から見た7区遺構検出状況の全景です。
新しそうなものから古そうなもの、様々な遺構が確認できます。
P3区の石組遺構です。石組の内側を掘り下げたところ、小さな石が敷き詰められたように出てきました。
同じP3区の溝です。こちらからも川原石がごろごろ出てきました。
P3区の調査は終盤に差し掛かりましたが、M3区の調査は真っ盛りを迎えています。遺構の実測も忙しくなってきました。
6区のクロボク土層の掘り下げが終わり、その下の4層の地層があらわになりました。多くはありませんが、柱の跡と思われる遺構がいくつか確認されました。
6区の遺構について半分掘り下げて、遺構に堆積した地層を調べ、遺構がどのように埋没したのかを検討しました。
昨年度調査を行った、4区東側を延長した範囲の調査を開始しました。調査前に造成された伐採木搬出の山道の跡や2層の地層から、縄文時代中期の土器や石器が沢山出土しました。
4区拡張区から出土した、玉髄(ギョクズイ)という半透明の岩石を素材として作られた矢じりです。シカの角などの先を押し込んで、小さなカケラを割り取る「押圧」というワザで、丹念に作られており、形が左右均等で、薄い出来上がりとなっていました。おそらく、石器づくりが上手なヒトの手によるものと考えられます。
先週重機で表土を剥いだ7区でも作業を開始しました。
まずは調査区の壁を綺麗に整えます。
7区に危険防止のための柵と看板を設置しました。
9区の遺構精査は終盤に入り、各遺構の完掘を行いました。
西のM-3区の遺構検出状況です。
後世の攪乱(カクラン)が北側に大きく入っていますが、南側は良い状態で残っていました。
M-3区も遺構の調査を始めました。
東のP-3区です。
遺構の掘り下げや記録作業など、さまざまな作業を行っています。
今週も6区の東側のクロボク土層の掘り下げを行いました。
クロボク土層の下部から、押型文(おしがたもん)土器や沈線文(ちんせんもん)土器など、約7~8千年前にあたる縄文時代早期の土器片が出土しました。
クロボク土層の下部から、早期の土器片以外にも、石の矢じりが出土しました。
6月30日には、霞城学園高校の生徒と教員の方々が、発掘調査の見学にいらっしゃいました。みなさん実際の調査にふれながら、興味津々で調査員や教員の話しに聞き入っている様子でした。
9区の遺構精査を進めました。
柱穴と思われる穴を慎重に掘り進めています。
9区では記録作業も引き続き進めています。
断面図を作成しているところです。
重機で7区の表土除去作業も行いました。
7区は昭和30~40年代頃に盛土をしているので、土量も多いです。
近隣の皆さんには、振動騒音と砂埃でご迷惑にならないよう注意しながら進めました。
P3区の遺構検出状況です。大型土坑や溝などを検出しました。
同じ調査区の一角で見つかった石組遺構です。
これから構造や性格を調べていきたいと思います。
調査区は東(P区)と西(M区)に飛び地で分かれています。
現在はこちらのM3区も並行して検出を進めています。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research