竪穴住居跡のカマドの断面図をとっています。
梅雨明けした今週は、強い日差しで地面がすぐ乾燥します。
写真撮影をする際には、土の色がよくわかるようにジョーロでの水撒きが欠かせません。
捨て場と思われる土坑です。
長さ3メートル、幅2.4メートル程の楕円形です。
土坑(上の写真)から出土した遺物です。
土師器と須恵器が主で、その量はカゴ3つ分にもなりました。
今週から遺構の掘り下げ作業に入りました。
移植コテを使って、慎重に掘り下げていきます。
調査区西側に位置するSX119の掘り下げの様子です。
2.8m×2.1m程の長方形の形をした遺構になります。
掘り下げてみると、底から石製模造品が出土しました。
孔(あな)が2つあいています。
J6トレンチの遺構の掘り下げを行いました。
この日も相変わらず暑い日となりました。
調査区東端にあるJ1~3トレンチの写真を撮るために、
アルミタワーを設置しました。
写真は組み立て完了後の様子です。
今週前半は、先週に続き谷跡のトレンチ(試掘溝)調査を行いました。
トレンチ内からは、土圧で潰れた土器や石器などが多数発見され、
それらを取り上げながら谷底まで掘り下げました。
谷の堆積は、上・中・下層の大別3層に分けられ、
縄文時代後葉~最終末(約2500年前)の遺物の変遷を知ることができそうです。
中層から出土したほぼ完形の深鉢です。
今週後半は、谷の北側の平場(岸辺)の遺構や倒木跡などを半分掘り下げました。
その際、出土したヒスイ製の勾玉です。
ヒスイは、日本では新潟県糸魚川でしか産出しないので、交流も注目されます。
本飯田地区の作業員の皆さんについて、週の初めに北原遺跡に重機が入るので、
沼田遺跡に集中して作業をしてもらいました。人数が多く、全員一列に並ぶと壮観です。
面整理によって溝跡が見つかりました。須恵器などが出土しています。
写真中央付近に、遺物があります。
遺物が見つかりました。調査員がそれについて説明しています。
作業員の皆さんも興味を持って聞いています。
今週から北原4遺跡の表土除去作業が始まりました。
遺跡北側に広がる丘陵部の調査を行います。
重機で表土を取り除き遺構を探しています。
繊細なバックホーの操作と調査員の適切な指示によって
少しづつ遺跡の様相が明らかとなっていきます。
調査区内にはサクランボの木の切り株が何本も残っています。
根を切りながら少しずつ切り株周辺の土を取り除いています。
ここから縄文土器が一点出土しました。
重機による表土除去も16日に終了しました。
遺物が黒い土の層に多くみられたので、慎重に作業を行ないました。
表土除去が終わったところから面整理を行なっています。
遺物が次々と見つかっています。
焼土の入った遺構から、甕(かめ)が見つかりました。
住居のカマド跡と考えられます。
最後に残った重機の通路部分の遺構検出を行ないました。
幅2m程の溝跡が見つかりました。蛇行し、一部途切れながら調査区を縦断しています。
写真中央部の白っぽい部分は、火山灰と考えられます。
平安時代の竪穴住居跡です。
左側のコーナー部分にカマドと考えられる焼けた土が見つかっています。
先週に引き続き、トータルステーション(測量機器)を用いて、遺構の測量を行いました。
機器で測った座標値を図面に点として落とし、点と点を結んで平面図を作成していきます。
倒木跡を調べるために、細長いトレンチを入れました。
中央に、垂直方向に傾いてしまっている地山の土の一部が確認されました。
木の根が地山の土を巻き込んで倒れ、その土が木の根の跡に入り込んだことを物語っています。
大きな竪穴(たてあな)の跡を掘っています。
竪穴の壁は、下に向かうにつれて外側に広がっています。
穴の埋め土からは、多数の土師器片が出土しましたが、
まだどのような性格の遺構なのかがわかりません。
竪穴近くにある井戸跡を掘っています。
底はまだ見えてきませんが、ふたたび水が湧き出してきました。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research