水の流れで堆積した砂地の層からは、遺物の出土が少ないのでスコップで掘り下げます。この下には石の層があり、その上面には、流されてきた遺物が出土することがあります。
「発掘調査速報」カテゴリーアーカイブ
鶴ヶ岡城跡第4次(9月12日~16日)
先週のHPで紹介した近代の溝は、一部堀南岸まで及んでいます。写真左下の横木は動かされている可能性が高くなりましたが、この西側(写真右下)に攪乱されていない胴木の痕跡が残存していました。
馬出部分の東側には、近代の溝による破壊を辛うじて免れた土坑が確認されました。土層の堆積状況を記録したうえで覆土を掘り下げています。
近代の溝上層と近世の遺構を完掘した状況です。近代の溝の胴木付近で大きな金峯石が2つ見つかり、堀南側の上層で並んで出土した金峯石と一連のものかもしれません。
北向遺跡第3次(9月12日~17日)
今週も区画ごとの掘り下げを行いました。後半の調査区は、ほぼ全体が川の中にあるようで、住居跡などはありませんが、流されてきた遺物が出てきます。
掘り下げを進めると、川の跡がはっきりと出てきました。川から外れた場所にはいくつかの柱穴のような遺構が確認できます。
地域の小学生を中心に、体験発掘を実施しました。皆さん丁寧に遺物を掘り出してくれました。
山形城三の丸跡第23次(9月12日~16日)
今週も7区南側の調査を行いました。
主に近世の遺構を掘り下げ、並行して記録してます。
江戸時代の洗い場でしょうか。低い石組で、床面も石が組まれていました。
深い穴で、壁面に板材を立て4か所に杭を打って固定していた穴蔵のような遺構が発見されました。出土したのは近世の遺物ばかりなので、近世のものであると考えられます。
先週から掘り下げを進めた石組遺構を完掘しました。がっちりと壁面に石組が施されています。深さも70cmほどあり、床面が突き固められており、水場ではないと思われます。地下の貯蔵施設なのでしょうか?近現代の遺物が出土したことから近年まで使われていたようです。
山形城三の丸跡第23次(9月5日~9日)
今週も7区南半の遺構精査を行いました。近世の土坑からは磁器が出土しました。
石組を掘り下げています。出土する遺物は近現代のものですが、石組自体は近世のものと推測され、長く使用されて埋めるときにゴミも投棄したようです。
インターンシップの大学生が発掘作業に参加しました。考古学を専攻しており、将来考古学に関わる仕事に就きたいとのこと。とても頼もしいです。
北向遺跡第3次(9月5日~9日)
下層の様子を探るため、区画ごとに掘り下げています。下から遺物や新たな遺構が発見されるかもしれません。
掘り下げて行くと遺物が出土します。掘り出したい気持ちを抑えて、出土位置や状況を記録するため、四角い島状にのこしています。
水林下遺跡第3次(9月2日~9日)
ドローンで調査区全体の完掘写真を撮影しました。
手前中央に調査区が見えます。右側は、一般国号7号遊佐象潟道路の工事が進んでいます。そして、左上奥には鳥海山が見えます。遺跡は9万年よりも前に、鳥海山から噴出した溶岩で出来た大地に上にあることが、空撮写真からわかります。
旧石器の調査区では、終了日前日の午前中まで石器が出土し続けましたが、最終的には旧石器包含層であるⅥ層を完掘しました。
最終日前日から、現場と事務所の撤収作業を行いました。
調査最終日、器材などをトラックに積み込み、1次~3次にわたる水林下遺跡の発掘調査が終わりました。作業に携わりました作業員の皆さまと関係者の皆さまのおかげで、無事に調査を終えることができました。この場を借りて、御礼申し上げます。
鶴ヶ岡城跡第4次(9月5日~9日)
堀南岸で見つかった胴木とその周辺に散布する礫の前後関係を確認するために、トレンチを設定しました。
馬出部分の遺構検出作業を実施しました。右側の灰色の部分がガラス片等の出土する近代の溝です。近世の遺構は大半がこの溝によって壊されているようです。
土橋部分は先週の雨で一部が崩落してしまいました。安全のために土橋上から掘り下げを行なっています。杭に番号を書いた荷札を付けました。
山形城三の丸跡第23次(8月29日~9月2日)
今週の前半は7区南側の遺構検出作業を行い、後半から遺構精査を開始しました。
検出作業が終了すると、全景写真を撮影しました。
必要に応じて、遺構全体を段下げして再確認したり、半截する作業をしました。検出された遺構は概ね近世のものですが、古代の遺物も出土しており、慎重な検討が必要です。
北向遺跡(8月29日~9月2日)
今週も遺構の検出を続けています。厚い堆積層を薄く削り下げていきます。
今週の作業区からは遺物が比較的多く出土し、平安時代のお椀などが見つかっています。