当財団の研究紀要刊行事業等について、多額のご協賛をいただいた酒田市の株式会社サンライズ機工 代表取締役 青山豊様に対し、去る12月12日、県庁において廣瀬渉理事長から感謝状を贈呈しました。
青山様からは、文化財の保存・活用への温かな思いが伝わるお話があり、廣瀬理事長からは、有効に活用させていただきますという旨の発言がありました。サンライズ機工様、誠にありがとうございました。
霞城学園高校の生涯学習講座受講生の皆さんがセンターにいらっしゃいました。
石器作りの実演見学のほか、土器の接合や拓本などの整理作業を体験していただきました。
八反遺跡で出土した一括出土銭の実物と、X線CTデータをもとにした3D画像の見学も行いました。3D画像では、銭の曲物への納め方や枚数、銭名など、外観からはわからない情報を見ることができます。
今週は天候にも恵まれ、井戸枠の隅柱や横木などを取り上げました。約1,000年前のものですが、取り上げてもしっかり形を保持していました。
井戸枠材の取り上げと共に、重機により調査区の埋戻し作業も行いました。最終週の鳥海山は中腹までもう真っ白です。
調査最終日に、最後に取り上げた大型の井戸枠材や発掘器材などをトラックに積んで調査が終わりました。半年間、炎天下の日も雨、雪の日も働いてくださった地元作業員の皆さん、ありがとうございました。
同じく調査最終日には、事業主体の国土交通省酒田河川国道事務所の担当者の方に埋戻し状況を見ていただき、現地引き渡しも行いました。今後は、上山市のセンターに戻り、出土品の洗浄や注記、復元、図面作成をして、両遺跡の実態をより明らかにしていきたいと思います。
今週は調査区の微地形を探るため、阿子島功山形大学名誉教授を調査指導でお呼びし、遺跡の基本層序(地層)などを検証しました。その結果、井戸跡や包含層から火山灰が認められ、当時の遺跡の立地や古環境などが分かりました。
井戸枠内の埋土の中から、白色粘土層が発見されました。青森県の十和田火山から噴出した火山灰土(西暦915年か)と考えられます。
今週は井戸跡の井戸枠材も取り上げました。写真は縦板を外し、隅柱と横木がほぞ穴で組まれた状態です。今から1,100年前のものと考えると、調査をしていても大変感慨深いものがあります。
当財団の研究紀要刊行事業等について、多額のご協賛をいただいた酒田市の環清工業株式会社 代表取締役社長 青山武様に対し、去る11月22日、環清工業本社内において廣瀬渉理事長から感謝状を贈呈いたしました。
青山社長からは、ご協賛を寄せられた趣旨のお話があり、廣瀬理事長からは、有効に活用させていただきますという旨の発言がありました。環清工業様、誠にありがとうございました。
村山市に所在する清水(しず)遺跡は、平成22~26年度に発掘を行った遺跡で、奈良時代から平安時代にかけての集落跡になります。
清水遺跡では、大量の土器が捨てられた溝跡が発見されています。
そこから出土した土器を洗ってみたところ、墨で文字が書かれているものがたくさんあることがわかりました。
これらは墨書土器(ぼくしょどき)と呼ばれ、出土状況から祈りや祭りに関して使用されたものと思われます。
中でも注目されるのは「縄」と書かれたものです。
「万」や「千」、「王」といった語句は、墨書土器に記される祈りの文字として多く出土するのですが、「縄」の字はほとんど出土しません。
全国的に同じ文字を探すと、富山県の任海宮田(とうみみやた)遺跡からのみ、大量に「縄」の墨書土器が発見されていました。
奈良時代から平安時代にかけての山形県では、国家的な開発計画のため全国からたくさんの人びとが移住させられたことがわかっており、北陸からの移民も多かったとされます。
この「縄」が意味するものが人名なのか地名なのかはわかりません。
とはいえ、ふたつの遺跡で見つかった「縄」の字のつながりは、富山から山形へやってきた人びとの存在を思わせる発見となりました。
野田遺跡では、測量のために空中写真撮影を行いました。調査現場の奥に見える鳥海山はもう雪景色です。
井戸跡の井戸枠材の取り上げを行いました。掘方が狭小なため、掘方を拡張して掘り下げを行いました。
打込み杭などを半截したところ、地面に対して斜めに杭が入っていました。今後取り上げて人為的な加工があるか確認します。
平成29年度の発掘調査説明会資料を公開しています。
是非ご一読ください。
平成29年度調査説明会資料
今年度は3遺跡(計2回)の発掘調査説明会を実施しました。
多くの方にご来場いただき、誠にありがとうございました。
11月5日(日)に、下中瀬遺跡と野田遺跡の調査説明会を現地で行いました。数多く出土した当時の祭祀具である斎串(いぐし)や、当時の文字が書いてある墨書土器などを展示しました。
天候が心配されましたが当日は晴れ、野田遺跡の現場に立って説明をすることができました。説明会には、地元の方を中心に約60名が参加してくださり、約1,200年前の建物跡や井戸跡を見学しました。
説明会の次の日には、小型のヘリコプターを飛ばして野田遺跡の空中写真測量を行いました。特に建物跡や井戸跡のある遺構集中部を中心に測量しました。
野田遺跡のSB1掘立柱建物跡です。今週は建物柱穴の完掘(柱穴の柱痕や埋め土を完全に掘り上げること)を行いました。
SB1掘立柱建物跡の柱穴の完掘状況です。柱穴中央部にはアタリ(柱根が存在していた部分)が残るものもありました。
今週はSE101井戸跡に近接するSK102土坑の完掘も行いました。この土坑からは斎串(いぐし)や火きり臼が出土しました。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research