川跡の一部に重なって土器が大量に出土する土坑が発見されました。つぼや食器などがあり、形状から平安時代のはじめごろのものと考えています。
前半の調査も大詰めをむかえ、調査区全体をドローンで空撮しました。写真は調査区の奥に大森山、左に楯山小、右側には調査区に並行して仙山線が走っています。
川跡の一部に重なって土器が大量に出土する土坑が発見されました。つぼや食器などがあり、形状から平安時代のはじめごろのものと考えています。
前半の調査も大詰めをむかえ、調査区全体をドローンで空撮しました。写真は調査区の奥に大森山、左に楯山小、右側には調査区に並行して仙山線が走っています。
5名の上山市立南中学校の2年生が職場体験にきれくれました。3日間よろしくお願いします。
石器の洗浄をおこないます。色々な形の石器を、丁寧に一つずつ洗っていきます。
次は土器の拓本作業です。凹凸のある文様の縄文土器に苦戦するも、きれいに文様を写し取っていました。
遺物の整理作業だけでなく、普及啓発の作業も行いました。7月末からはじまる長井市の展示で使う説明パネルを作る作業です。
暑い中3日間お疲れさまでした。
日本の後期旧石器時代の石斧研究に造詣が深い、早稲田大学の長﨑潤一先生が、本遺跡の調査・研究に関する調査指導のため、現地にいらっしゃいました。調査事務所にて、出土した石斧やほかの石器資料に関して、様々なご意見を伺うことができました。
長崎先生からは、これまで発見された同時期の遺跡に比べて、本遺跡が海に近かったり、鳥海山の溶岩地形に立地することが、非常に特徴的であることを指摘されました。
蒸し暑い梅雨空の中、C区北の遺構の精査を行いました。
遺構精査では、まず遺構のなかにある地層を半分だけ掘り下げ、どのように遺構が埋まっていったかについて調べます。そのあと、写真撮影や三次元計測用の写真撮影、土の性質について記録していきます。記録が終われば、残りの土を掘り下げて完掘します。
調査区の環境が整ったところで、重機による表土掘削を実施しました。調査区が狭いので、比較的小型の重機でも調査区幅の半分以上がふさがってしまいます。
バックホーのバケットが届く4~5mずつ調査区幅の半分だけ掘り、土層断面の記録後に残り半分を掘り下げていきました。
表土除去が完了した場所から、人力で丁寧に土を削り、遺構がないか確認していきます。
礎石の根石を全て掘り上げました。いよいよ堀跡の調査に入ることができます。根石を埋めるために掘りこんだ穴の壁面や底面の土の状況から、堀の範囲が推定できます。
調査区を地中側から見てみました。土の柱のように見えるのが掘りこんだ穴です。土が黒っぽい範囲が堀跡と考えられます。堀にあたる部分は地盤が悪かったためか、より深く掘りこんで根石を入れていたようです。
西側の調査区でも堀の範囲や深さを確認するためのトレンチを設定しました。人が集まっているあたりで堀の西側の立ち上がりが見つかりました。写真手前側の調査区端まで堀が広がっているようです。
堀西側立ち上がり付近の最下層から白磁の皿が出土しました。この他、17世紀前半頃を上限とする陶磁器が出土しています。
5区北側の調査も終盤です。暑い中、遺構精査と記録をどんどん進めました。
近世の石組遺構の断面観察用ベルトを外していると、磁器の小皿が2点出土しました。
この遺構からは強い火をたいたあとと、それにつながる掘り込みがみつかっています。中からは鉄が溶けたかすが出土していますので、鉄を加工する施設ではないかと考えています。
川のあとのような場所からは、平安時代の土器の破片がたくさん出土し、当時の洪水で流された様子がうかがえます。
7月に入り出前授業もラストスパートです。
14校目は上山市立上山小学校。上山城の武家屋敷に囲まれた小学校です。
本物の土器や石器にはじめて触れます。同じ上山市内に埋蔵文化財センターがあることもはじめて知った子もいましたよ。
石器で野菜切りでは、みょうがの葉を切りました。
やっぱり普段使っている金属の包丁の方が使いやすいそうです。
暑い日が続きぐったりしていますが、
小学校の昼休み、子供達は元気に追いかけっこ。
出前授業13校目は山形市立滝山小学校です。
山形市内では児童数が3番目に多い学校で、6年生は116名4クラスです。開閉会の行事の司会から、クラスの誘導まで全部自分たちでしっかりこなしていました。
暑い中ですが、弓矢体験は大盛り上がり。お互い教え合いながら、動物たちを倒していました。
今週は5区北半分の遺構精査と記録作業を行いました。
遺構を半分掘って(半截)、図面や写真などに遺構の堆積状況を記録します。
記録が終わったら、残り半分も掘り下げます。