2間×4間(手前1002)、2間×3間以上の建物(奥1001)です。同じ軸線上に並んでいます。
2間×3間の東西棟で、1003と隣接します。掘り方の規模は1001、1002と比べ小規模です。
来週の空撮に備え、E区では澄みきった秋空の中で、遺構内に溜まった雨水を排水し、周囲の清掃に入りました。
2間×4間(手前1002)、2間×3間以上の建物(奥1001)です。同じ軸線上に並んでいます。
2間×3間の東西棟で、1003と隣接します。掘り方の規模は1001、1002と比べ小規模です。
来週の空撮に備え、E区では澄みきった秋空の中で、遺構内に溜まった雨水を排水し、周囲の清掃に入りました。
今週はほぼ掘りあがった調査区の空撮を行ないました。撮影前の掃除の様子です。雨が降ったりやんだりの天気の中での作業でした。
ラジコンヘリで撮影しました。
調査区の中央を流れる溝の跡です。溝の底や壁は、水の流れで複雑な形に削られています。
調査区縁の部分は元々の地形が低地であり、耕地整理の際に平坦化されたようです。掘り下げると、土器や石器の小さな破片が数多く出土しました。
土器は今から約2000年前の弥生時代中期のものと、平安時代のものが混在しています。弥生土器は昨年調査した百刈田遺跡のものと似ており、同年代と思われます。
遺跡から南陽市街地方面(東方)を望みました。雨上がりの後で虹がかかり、空気も秋の気配を感じます。
縄文調査区の東端から出土しました。円状に石が積まれています。詳細は不明ですが、今後の調査で明らかにしていきます。
縄文調査区の東端まで調査を進めました。この地区の調査はあと少しで終了です。
先週お伝えしたA区の井戸跡です。周りに少し石がありますが、素掘りの井戸のようです。
B区の溝跡も先週に引き続き、掘り下げました。深さは、80cmくらいあります。
C区の遺構検出作業の様子です。
沢跡(SG1)から出土した遺物の取り上げ作業です。土器がつぶれて破片がまとまった状態なので、周りの土ごと取り上げを行っている状況です。
調査区西側に位置する柱穴・土坑群の半截(はんさい)作業に入りました。
写真は、今まで沢跡から出土した土偶(どぐう)です。土偶とは人の形につくった土の人形で信仰的な遺物ではないかとされるものです。出土した土偶は、目・鼻・口がはっきりと表現されており、なかには女性の特徴を誇張したものもあります。
近世まで使われていた溝跡が調査区にはあります。調査の進行に伴い掘り下げていったところ砂が出てきました。もしかすると、この溝の古い流れかもしれません。
1枚目の写真の奥の方を部分的に掘り下げました。すると杭もしくは柱根のようなものが出てきました。
須恵器の坏がほぼ完全な状態で出ました。内側は真っ黒になっています
トレンチ掘作業
8/31をもって調査が終了しました。
8月27日に現地説明会を行いました。70名以上の方々が見学に来て下さいました。ありがとうございました。
木枠の井戸を掘り始めました。慎重に木枠の部材を外していきます。土が崩れないように気をつけて堀って行きます。
調査区から県道をはさんで西に地蔵堂と板碑がたっています。加藤和徳氏は『中世奥羽と板碑の世界』(共著)の中で、板碑を紹介しています。これによると板碑の主尊は阿弥陀如来で、正面下に永仁2(1265)年の年紀があるようです。
調査区南側の柱穴の集中域を写したものです。北側に東西に溝が走っており、その遺構より南側に多数の柱穴が存在します。
区画している溝です。断面形がV字になっており、薬研堀のようになっています。幅が1間ほどで、検出面からの深さは1mを超えています。