山形城三の丸跡第20次(9月19日~9月22日)


城北町の調査区の土層を記録しています。調査区は馬見ヶ崎川の旧河道域にかかっており、土と砂の層の堆積状況から氾濫を繰り返していたことがわかります。


堆積土上に17世紀頃の肥前陶器が出土した遺構検出面がありますが、その堆積土の中から青磁碗が出土しました。さらに約80cm掘り下げた下層からは8世紀頃の土器が出土しています。


野田遺跡・下中瀬遺跡(9月19日~9月22日)


先週末に台風対策を行ったため、ブルーシートはめくれる程度ですみましたが、看板などが壊れる被害を受けました。


南区のSK2土坑の斎串(いぐし)出土状況記録作業です。木札を加工して作った斎串がまとまって出土しました。お祭りに使った後廃棄したものと考えられます。


北区の遺構精査の様子です。調査区中央~北半部にかけて調査を行い、建物の柱穴群や溝跡などを検出しました。柱穴には、柱根が残るものもあります。


センターからこんにちは:裏庭のクルミ編


センターの裏には川が流れており、そのほとりにはクルミの木が生えています。毎年秋にはたくさんの実がなるので、敷地内に落ちたものを拾って、体験学習などで縄文クッキーを作るときの材料にしています。


殻の側面に丸い穴があいているクルミが落ちていました。
これは、ネズミが実を食べるときにあけた穴なのです。


歯型もしっかりと付いています。
こういったクルミの殻は遺跡からも出土します。
人間が保存していたクルミをネズミが食べてしまったもののようです。
縄文時代にはすでに食べられていたクルミ。今ではメインの食材として使われることは少なくなりましたが、当時はヒトにとっても大切な食料でした。


山形城三の丸跡第20次(9月11日~9月15日)


今週で大手町の調査区は、調査終了となります。
完掘全景写真を撮影するため、調査区内のクリーニングを行っています。


溝跡の平面図を作成して作業終了です。
遺構検出面のほとんどが砂と礫からなる調査区なのですが、一部水捌けの悪い部分があり、そこに溝跡が残っていました。


野田遺跡・下中瀬遺跡(9月4日~9月8日)


野田遺跡の調査区全体の遺構検出状況(西から俯瞰(ふかん)撮影)です。写真中央が微高地(自然堤防)になっており、遺構群が集中しています。写真手前と奥は低湿地となっています。


こちらは、ドローンで真上から撮影した遺構検出状況です。微高地は、写真中央で蛇行する旧河川の砂層などにより形成されており、ここに遺構が集中しています。


八幡西遺跡第2次(9月4日~9月8日)


発掘区に分布する土層の重なりや広がりを把握するため、複数の地点で観察用の試掘坑(トレンチ)を掘りました。


深掘り掘削面の勾配と高さは法令の定めに従い、落盤の防止に努めています。発掘作業では安全に対する十分な配慮が求められます。


2か年にわたった調査も今週をもって終了となりました。ご尽力いただいた作業員の皆さん、本当にありがとうございました。


野田遺跡・下中瀬遺跡(8月28日~9月1日)


下中瀬遺跡の方形区画溝です(南東から撮影)。
調査区の西側で東西(SD29)、南北(SD18)方向の直交する深さ1m以上の溝跡が確認されました。これらは現水路とも並行しています。
一辺約20mの中近世屋敷跡の外郭部と考えられます。


こちらは方形区画内の北西角で発見されたSX41塚状遺構です。
平面方形に周溝が廻リ、中央部に土盛り痕跡が残っています。
墓坑と推測されるSK22に南側(写真上方)を壊されています。
方形区画内には塚や墓坑などがつくられており、祭祀的な性格の場所であったと考えられます。


SE31井戸跡の井戸枠出土状況です。SE31は、方形区画溝(SD18溝跡)より後に作られた直径1m前後の井戸跡です。3回以上の作り替えがあり、最も古いものは、深さ約1.5m下に縦板で組まれた井戸枠がありました。ただ井戸枠は、作り替えなどの際の埋土の土圧でかなり崩れています。

※今週で下中瀬遺跡の調査は終了しました。来週からは引き続き、野田遺跡の調査の様子をお伝えします。


Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research