軒丸瓦が出土しました。
残念ながら、時期の決め手になる家紋ではなく汎用性が高い一般的な巴紋でした。
瓦が出土した遺構の完掘状況です。
大溝に平行するような細長い土坑です。
他にも遺構が重複しています。
大溝の掘り下げもいよいよ終盤です。
残念ながら、時期の決め手になるような遺物は出土しませんでした。
今週は、B-4・N-1・2・O-1区と新たに4つの調査区の遺構検出を始めました。
このN-1区は、国道112号線北側の最も東にある面積の小さな調査区ですが・・・
調査区の中央やや北より(画面左より)に、ほぼ完全な丸い形の遺物が確認できます。
大きな土坑(どこう=穴)の中にあるようです。
17世紀前半頃のものと推定される唐津焼の皿です。
縁の一部が欠けていますが、かなり良い状態で残っていました。
同じN-1区(唐津の陶器が出土したすぐ近く)から見つかった軒丸瓦の破片です。
一部(画像左下のあたり)がキラキラ光っています。
よく観察すると、瓦の表面に金が付着しているのが確認できます。
どうやら「金箔瓦(きんぱくかわら)」のようです。
5区大溝の上層から、擂鉢、瓦、宋銭が出土しました。
しかし、これがこの溝の年代決定の決め手になるかは今後詳しく調べます。
5区大溝の掘り下げ作業です。
今週は雨からのスタートになりました。
待機時間を利用して、今までに出土した遺物の洗浄を行いました。
雨が上がったので、空撮に備え、調査区の清掃を行いました。
ラジコンヘリコプターでの空撮の様子です。
今回は、B区の撮影を行いました。
週の後半には、A区南側の調査を開始しました。
写真は、溝状の撹乱土を掘り下げている様子です。
清水8遺跡西側の溝の断面です。
ベルトを残しながら、写真撮影用に掃除をしていきます。
掃除後の溝です。
きれいになって写真映えがしますね。
今週から清水8遺跡の南側の埋戻しが行われます。
この後道路を付け替えて現在の市道の下を調査します。
月曜日には、東北学院大学の谷口教授の引率のもと、
中国の重慶師範大学の楊華教授と蒋剛教授と大学院生2名が、本遺跡の発掘調査の見学にいらっしゃいました。
日本と中国の発掘調査の仕方の違いについて、とても興味深く見学されていました。
トータルステーションという測量機械を用いて、検出した遺構の輪郭を測量しました。
南側の斜面にあたる3区の2層を掘り下げました。
北隣の4区と同様に、3区でもたくさんの遺物が出土しました。
3区からは、本調査4体目となる土偶が出土しました。
やや小ぶりの土偶です。