堀南岸で見つかった胴木とその周辺に散布する礫の前後関係を確認するために、トレンチを設定しました。
馬出部分の遺構検出作業を実施しました。右側の灰色の部分がガラス片等の出土する近代の溝です。近世の遺構は大半がこの溝によって壊されているようです。
土橋部分は先週の雨で一部が崩落してしまいました。安全のために土橋上から掘り下げを行なっています。杭に番号を書いた荷札を付けました。
堀南岸で見つかった胴木とその周辺に散布する礫の前後関係を確認するために、トレンチを設定しました。
馬出部分の遺構検出作業を実施しました。右側の灰色の部分がガラス片等の出土する近代の溝です。近世の遺構は大半がこの溝によって壊されているようです。
土橋部分は先週の雨で一部が崩落してしまいました。安全のために土橋上から掘り下げを行なっています。杭に番号を書いた荷札を付けました。
今週の前半は7区南側の遺構検出作業を行い、後半から遺構精査を開始しました。
検出作業が終了すると、全景写真を撮影しました。
必要に応じて、遺構全体を段下げして再確認したり、半截する作業をしました。検出された遺構は概ね近世のものですが、古代の遺物も出土しており、慎重な検討が必要です。
今週も遺構の検出を続けています。厚い堆積層を薄く削り下げていきます。
今週の作業区からは遺物が比較的多く出土し、平安時代のお椀などが見つかっています。
大きな金峯石を搬出した後、南側の堀の下層を掘り下げました。土層の堆積状況を記録するため、矢板側を幅1mほど掘り残しています。
堀の底面は、南端の胴木から2mほど平坦な範囲があり、その北側から急角度で深くなります。急傾斜面の始まる付近が乱杭を密に打ち込んでおり、しがらみ状の枝が確認されました。
二の丸大手馬出の土橋が検出されるなど想定外の重要な発見があったことから調査期間が延長になりました。調査事務所の賃借を延長できなかったため、別の場所に移転します。
東調査区も埋戻しが完了しました。学校の引っ越しも完了し、校舎の改修工事を待つばかりです。
グラウンドに置いていた残土はきれいになくなりました。写真奥は夏休みが明けて授業が始まった仮設校舎です。
グラウンドに敷いていた鉄板を撤去しています。撤去後グラウンドを整備し、現地調査終了です。
旧石器調査区では、石器が出土する地層下部の掘下げが続きました。雨でぬかるむ地面を掘下げていきましたが、まだまだ石器が出てきます。
C区北での遺構精査が終盤になってきました。調査を行う日程も、残り少なくなってきました。
東北大学の鹿又喜隆先生が、学生や院生をともなって現場見学に訪れました。あいにく、豪雨の翌日だったため、旧石器調査区は泥に覆われていて見学しにくかったのですが、遺跡が立地する地形などに興味を示されておられました。
堀の下層を調査するため、南北方向に並んで出土した大きな金峯石(きんぼういし)を移動式のクレーンで吊り上げました。一番大きなもの(長軸100cm程度)で重さは1トン近くありました。
調査区外の離れた位置から吊り上げる必要があり、隣接する裁判所や市役所の屋上をはるかに越える高さまでブーム(竿部分)を伸ばして石を搬出しています。
搬出した石は、調査区向かい側の鶴岡公園敷地に置いています。石の大きさを間近で感じられるだけでなく、石を割るために彫られた「矢穴(やあな)」など当時の加工の痕跡をくわしく観察できます。
東調査区の調査も終了し、最後に屋上から全景を撮影しました。調査区右上の深い部分が七ツ蔵の堀跡です。
安全のため、写真を撮った直後には埋戻しが始まりました。埋まるのはあっという間です。
発掘器材を運び出して調査終了です。調査にご協力いただいた関係機関の皆様、作業員の方々にお礼申し上げます。
旧石器が出土する調査の掘り下げが続きました。旧石器が出土する地層の下部まで掘り下げましたが、まだまだ石器が出てきます。
C区北の西側に位置する古代の竪穴建物跡の記録作業を行いました。一眼レフカメラで、遺構の堆積状況を記録しました。
23日~25日にかけて、水林下遺跡第3次発掘調査の一般公開を行いました。水林下遺跡に興味を持っていただいた方々が、発掘調査の見学に訪れました。
1日の作業が終わりには、事務所に向かう途中、女鹿漁港から日本海に沈む夕陽を見ることができます。この日、夕陽はウロコ雲に隠れていましたが、海面には夕映えがきれいでした。水平線の右側には、飛島を望むことができました。
お盆が明け、調査を再開しました。まだまだ暑い日のなかでの遺構検出が続きます。
下層の様子を探るため、一部の区画を掘り下げています。ここからは平安時代の遺物が出土します。