炎天下の中、旧石器が出土する地層の掘り下げが続けられました。石器が出土したら、周囲を柱のように残して、周りをさらに掘り下げていきます。
C区北の東側では、縄文時代中期初頭の土器が出土した、大きな土坑が2つ並んで発見されました。縦断面形が、フラスコのような形をした「フラスコ状土坑」の可能性があります。
C区北の中央部では、平安時代の竪穴建物跡と考えられる遺構が発見されました。しかし、後世に耕作地の造成などで、東半分が壊されていたようです。
西調査区の堀を完掘しました。堀底は現地表から約3.5mの深さです。
東調査区の精査を再開しました。雨で流れた土をきれいにして遺構を探します。
見つかった遺構を完掘しました。
中央の一段下がったところは堀が埋まった後に掘られた近代以降の溝です。溝の両側にかろうじて近世の遺構が残っていました。
8/3の大雨、山形市内では大きな被害はありませんでしたが、調査区に水が溜まりました。
5区南側の調査も終盤です。ベルトの記録もとったのでどんどん掘り下げました。
5区南側は遺構を完掘し、記録も終了したので全景写真を撮りました。
8/5から、3年ぶりに花笠まつりが開催されました。夕方になると調査区周辺に踊り手さんたちがゾロゾロ集合地点に向かう姿が見られました。
今週も表土掘削を行いました。重機で大きく掘った後は人力で丁寧に削って行きます。
遺跡の中は大きな川が流れていたようで、運ばれてきた石が波打つように出てきます。
先週とはうって変わり、夏空が戻り、厳しい暑さのなかでの作業となりました。C区北では、中央部にある四隅に溝を有する古代の竪穴建物と思われる遺構の精査を行いました。この遺構は、残念ながら後世の耕作地の造成などで、ほとんど壊されていました。
26日には、日本および東アジアの先史考古学・民族考古学・人類環境史をご専門とする東京大学名誉教授の佐藤宏之先生が、調査指導として水林下遺跡にいらっしゃいました。3次調査で出土した台形石器や石斧の破片について、さまざまなご意見をいただきました。
佐藤先生からは、ほかの旧石器時代の遺跡には見られない、遺跡が鳥海山という火山のそばに立地するというユニークなことなどについて、発掘現場の観察を通してお伺いすることができました。
28・29日には、東アジアの先史文化の研究、東アジアの古代都市と仏教寺院の建設計画と思想などをご専門とする、東北学院大学教授の佐川正敏先生が、調査指導にいらっしゃいました。佐川先生からは、旧石器が残された当時の微地形に関することや、縄文時代や古代の遺構に関して、さまざまなご意見を伺うことができました。
佐川先生は、作業員さんと混じりながら、旧石器が出土する地層の掘り下げを行い、水林下遺跡の地層の感触を体験されておりました。