「発掘調査速報」カテゴリーアーカイブ

天矢場遺跡(6月11日~6月15日)

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井戸跡の平面図を作成している様子です。

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井戸跡の周りをさらに掘り進めると、井戸につながる溝跡が確認されました。

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A区南東隅の土坑から、縄文土器(深鉢)の底部と思われる破片が出土しました。底面には製作時に付いたと思われる敷物のあとがくっきりと付いています。


川前2遺跡第3次(6月11日~6月15日)

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調査区南側の遺構検出を行っています。背後に見えるビニールハウスはさくらんぼ畑の雨よけハウスです。遺跡の周りにはさくらんぼ畑が多く、これから最盛期を迎えます。

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遺構検出を終了し、調査区南側から遺構の調査に着手しました。いよいよ本格的な発掘調査の始まりです。


堤屋敷遺跡第2次(6月11日~6月15日)

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今週から西側に位置する2区の調査に入りました。写真は面整理の様子です。粘土の地盤を掘り込んだ溝状の遺構(SD31)が検出されました。

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2区の遺構検出状況です。手前に写る溝状の遺構は、三叉にわかれて、調査区の端まで伸びています。写真奥には、柱穴などのピットが密集しています。

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調査区北側では、柱穴と思われるピットが密集しています。

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2区の平面図の作成と溝状の遺構(SD30)の掘り下げを行いました。


行司免遺跡第4次(6月11日~6月15日)

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早速、土器や炭が出てきました。箸の立っている箇所に土器があります。

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1枚目の写真のアップです。土器は破片となって散らばっています。

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この写真もまた1枚目の写真のアップです。地面が赤く焼けています。ススがベッタリついた土器片もあります。


上の寺遺跡(6月4日~6月8日)

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重機で掘り下げる前に、現在の地形を測量して記録に残します。

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遺構や遺物が出てくる深さを調べるために、人力で掘り下げ、トレンチ調査を実施しました。
斜面の部分の表土を掘り下げると、地山のすぐ上から江戸時代後半頃の磁器が出土しました。
現在の段々の地形は、最終的には江戸時代以降に作られたようです。

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トレンチから出土した遺物です。
蓮の花の模様の青磁碗(左上)、渦巻き模様の青白磁梅瓶めいぴん (右)などが出土しています。
鎌倉時代(13〜14世紀)、中国で焼かれたものです。


天王遺跡第2次(6月4日~6月8日)

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重機の表土除去の最中に桶が2つ並んで出土しました。遺構面より高いところで確認されたことや、桶の状態から他の遺構よりは新しいものと思われますが、桶の中に何が入っているか楽しみです。

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天王遺跡は砂質土で比較的水はけは良いのですが、それでも雨や湧水で調査区内に水が溜まることも多く調査の妨げとなります。そのためみんなで知恵を出し合いそれを解消できるよう工夫しています。この写真はそのひとつで砂がたまりやすい排水溝に手製の木樋を設置しました。

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今週石器が出土しました。削器(さっき)と思われます。面整理の際に出土したもので、残念ながら遺構からの出土したものではありません。長さは約9.5cmです。

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天王遺跡は幹線道路に近いのですが、周辺にはいろいろな動物が住んでおり、キジも時々姿を見せます。この写真には雄しか写っていませんが、この時はつがいで仲良く散歩(?)をしていました。雄キジは胸の辺りの赤色が大変色鮮やかできれいです。


上大作裏遺跡第2次(6月4日~6月8日)

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今週は雨の日が多く、その度に排水をして汚れた地面を再度削り直します。

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見つかった遺構の掘り下げ状況です。左側の溝跡からは平安時代の土器が出土していますが、全体では縄文時代の遺構が多いようです。

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これは、長さ4mほどの長方形をした竪穴住居跡です。出土した土器片から、今から約6500年前の縄文時代早期末の家と考えられます。