檜原遺跡第1次調査の説明会を開催します。
ぜひご参加ください。
日時 平成18年9月15日(金) 午後2時〜
場所 南陽市大字西落合 檜原遺跡第1次発掘調査地内 地図
成果
南陽市の西部・沖郷地区に所在し、遺跡中央を南北に走る上無川の自然堤防上に位置します。
今回は、遺跡の南西部を調査し、中世や近代の遺構・遺物が検出されました。特に南北に走り、L字に屈曲する区画溝からは、中世陶器も出土しています。その他、多数の柱穴が検出されました。
調査区南側の薬研堀以南には多数の建物跡が存在しており、当該地域を支配した有力者の屋敷跡などを想起させます。南側の区画からは瓷器系陶器などの遺物も出土しています。
これらの遺構・遺物は、当市中世史の1ページを飾るもので、以後の当地方の歴史認識に一石を投じる調査結果と言えます。
問い合わせ
現場携帯 090-1939-4341
埋蔵文化財センタ- 023-672-5301

B区の南側の遺構精査に入りました。ここからは何が見つかるでしょうか。

先週に引き続き、真赤に焼けた床面を持つ遺構その2です。奥のほうに溝状に掘り込まれたところがあります。

2間×4間(手前1002)、2間×3間以上の建物(奥1001)です。同じ軸線上に並んでいます。

2間×3間の東西棟で、1003と隣接します。掘り方の規模は1001、1002と比べ小規模です。

来週の空撮に備え、E区では澄みきった秋空の中で、遺構内に溜まった雨水を排水し、周囲の清掃に入りました。

今週はほぼ掘りあがった調査区の空撮を行ないました。撮影前の掃除の様子です。雨が降ったりやんだりの天気の中での作業でした。

ラジコンヘリで撮影しました。

調査区の中央を流れる溝の跡です。溝の底や壁は、水の流れで複雑な形に削られています。

調査区縁の部分は元々の地形が低地であり、耕地整理の際に平坦化されたようです。掘り下げると、土器や石器の小さな破片が数多く出土しました。

土器は今から約2000年前の弥生時代中期のものと、平安時代のものが混在しています。弥生土器は昨年調査した百刈田遺跡のものと似ており、同年代と思われます。

遺跡から南陽市街地方面(東方)を望みました。雨上がりの後で虹がかかり、空気も秋の気配を感じます。

縄文調査区の東端から出土しました。円状に石が積まれています。詳細は不明ですが、今後の調査で明らかにしていきます。

縄文調査区の東端まで調査を進めました。この地区の調査はあと少しで終了です。

先週お伝えしたA区の井戸跡です。周りに少し石がありますが、素掘りの井戸のようです。

B区の溝跡も先週に引き続き、掘り下げました。深さは、80cmくらいあります。

C区の遺構検出作業の様子です。

沢跡(SG1)から出土した遺物の取り上げ作業です。土器がつぶれて破片がまとまった状態なので、周りの土ごと取り上げを行っている状況です。

調査区西側に位置する柱穴・土坑群の半截(はんさい)作業に入りました。

写真は、今まで沢跡から出土した土偶(どぐう)です。土偶とは人の形につくった土の人形で信仰的な遺物ではないかとされるものです。出土した土偶は、目・鼻・口がはっきりと表現されており、なかには女性の特徴を誇張したものもあります。

近世まで使われていた溝跡が調査区にはあります。調査の進行に伴い掘り下げていったところ砂が出てきました。もしかすると、この溝の古い流れかもしれません。

1枚目の写真の奥の方を部分的に掘り下げました。すると杭もしくは柱根のようなものが出てきました。

須恵器の坏がほぼ完全な状態で出ました。内側は真っ黒になっています

トレンチ掘作業
8/31をもって調査が終了しました。

Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research