
N-2区の土坑から、猿の飾り瓦が出土しました。
猿は、「去る」の語呂合わせで、悪運が去る、魔物が去るとして魔よけ、災難、
病気を寄せ付けないお守りとされ、屋根の上に載せ、その家を守っていたようです。

完掘したN-2区の全景写真です。
今週で、B-4区、N-1区、N-2区の調査が終了しました。
今度は、O-1,2,3区の調査が始まります。

これから調査を行う、O-1区の検出遺構を白線でなぞっています。

市道の下の遺構を検出しています。
道路面から1m以上下までようやく掘り下げることができます。

市道の南東部です。
遺構が多く検出されたため、調べながら掘り進めています。

北側の竪穴も掘り終わり、遺物を回収しています。

今週は、1区の西側拡張部分の面整理を行いました。
朝は、深い霧に覆われるようになってきました。

1区西側拡張部分は、戦後の桑畑の跡が確認されました。
そのため、この部分は、遺構・遺物があまり残されていませんでした。

2区南側の大型土坑の中から、土器や石器が多く出土しました。
この土坑の中に、縄文時代中期の土器や石器を廃棄したのでしょうか?

1区のフラスコ状土坑の中に堆積層の線引き作業を行いました。
2つの土坑が重なっていますが、断面を観察することによって、
その前後関係と埋没した過程が明らかになります。

9月28日に「バスで遺跡を見に行こう」が開催されました。
今年は村山市の縄文遺跡を中心に巡りました。
まず東根市「東の杜資料館」で縄文時代の遺物を見学です。
縄文土器や土偶など中々間近で見られないものに皆さん興奮です。

現在発掘調査中の羽黒神社西遺跡も見学しました。
現場で土に埋まった状態の土器や、人がすっぽり入ってしまう大型土坑の説明を熱心に聞いていました。

最後に竪穴住居が復元されている中村A遺跡を散策しました。
縄文人が暮らした生活に皆さん思いをはせていたようでした。


9月27日、調査中の八幡一遺跡(川西町)に川西町文化財めぐりで40名の方々が見学にいらっしゃいました。
事務所内で遺跡の概要を説明した後、これまで出土した遺物を見学しました。

発掘調査の現場見学の様子です。
川西町の方が多く、地元の歴史を興味深そうに学んでいました。

C区の状況です。
ジョレン(便利鍬)で表面を整備しています。

同じくC区の溝跡です。
掘り下げたところ丸木が見えてきました。

丸木の出土状況です。

3区の土質変化ラインのトレンチ壁面です。
やはり河川跡でした。
遺物が出土しないので、時代は不明です。

その壁面の土層堆積状況を、3区の基本層序として記録に取りました。

5区で、大区画溝より古い遺構を掘り下げました。
瓦の破片が出土しました。

N-2区南東隅にある土坑(どこう=穴)からは、一段掘り下げる度に、
瓦や陶磁器など多くの遺物が出てきます。
遺物は一つ一つ番号を付け、記録を取ったうえで慎重に取り上げます。

同じN-2区東部のほぼ中央にある直径約2mの土坑も、
掘り下げると瓦が次々に現れます。
こちらは比較的原形をとどめた大きな破片が多いようです。

その土坑から端面の文様が良く残った軒平瓦(のきひらがわら)が見つかりました。
中心飾りが「五葉文(ごようもん)」で、唐草文(からくさもん)が2回反転しているタイプです。
前にHPで紹介した同区北東部で出土したものとは異なる時代のものです。

竪穴のベルトを外します。
中から大きな土器が出土しています。

写真を撮る前に清掃を行います。

市道の南側の遺構検出状況を撮影しています。

1区大型土壙の断面。
粘土を主体に意図的に埋められた状況と判断されます。

4区の北斜面にある包含層からは沢山の縄文土器が出土しています。
この写真の土器群はこの包含層の最下層でみつかったものです。

4区包含層から正位でみつかったほぼ完形の深鉢形土器です。
割れてはいますが、破片はほぼ揃っていました。

4区の包含層からみつかった二つの穿孔を持つ石製垂飾品の出土状況です。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research