調査区のいちばん西側から溝跡が検出されました。細い溝は南東を向いており、およそ2m間隔で掘られています。
炭が集中している場所から木製品が出てきました。
調査区のいちばん西側から溝跡が検出されました。細い溝は南東を向いており、およそ2m間隔で掘られています。
炭が集中している場所から木製品が出てきました。
柱穴群は全体の掘り下げでアタリの有無を確認後、半截して底面まで下げ、断面図作成の撮影、ポイント測量を経て、完掘作業、平面図作成用の写真撮影と続きます。F区の柱穴は一部を残して完掘作業に入っています。
SB1001の新たに検出した掘り方の精査にはいりました。
調査区完掘の空中写真
今週は、ヘリコプターを使って上空からの遺跡の写真撮影を行いました。
上空からの写真では、調査区中央を斜めに走る川跡や、その両側に柱穴や土坑などの大小の穴が密集しているのが分かります。
県内では少ない縄文時代後・晩期の集落構成が分かる点で、重要な資料となります。
これは河跡(SG1)付近の集落域を真上から撮影したものです。河跡の右側では硬い礫の地盤にもかかわらず、遺構が多く存在します。一方で左側では河跡から離れていくにつれて、遺構が少なくなっていくことが見受けられます。
矢馳A・南田・興屋川原遺跡、3遺跡合同の説明会を開催します。
ぜひご参加ください。
日時 平成18年11月19日(日) 午後1時〜4時
場所 鶴岡市矢馳字下矢馳 日本海沿岸自動車道関係遺跡合同発掘事務所 地図
成果
矢馳遺跡は古墳時代から中世にかけての竪穴住居跡や掘立柱建物跡、井戸跡等が検出され、多くの土器や木製品などが出土しました。
興屋川原遺跡では古代の規模の大きな竪穴住居跡が検出されました。
南田遺跡では古墳時代と奈良時代の遺構が見つかり、奈良・平安時代の土器などが出土しました。奈良時代の前半までさかのぼると考えられる土器もあり、庄内地方で発見された奈良時代の土器では最も古い部類に入ります。
備考
今回の調査説明会は、南田遺跡の現地事務所・駐車場が狭小なため、合同発掘事務所に集合して、全体及び矢馳遺跡の説明をした後、ワゴン車に乗り合わせて各遺跡を巡って説明を行います。
問い合わせ
現場携帯 090-5356-2977
埋蔵文化財センタ- 023-672-5301
調査を始めた頃は緑だった山々が、秋の色に変わっています。長かった調査も今週で終了です。ありがとうございました。
今週は現場の引き上げ作業中心です。発掘よりも大変な仕事です・・・。
今日は天童市立荒谷小学校で勾玉づくりを行ないました。児童より熱心!?な保護者の姿が見られました。
子どもには負けないわよ、とばかりに奮闘中の先生です。
センター改革プロジェクトチーム会議も4回を重ねました。今回はセンター改革の要項とも言うべき「改革プラン」が策定されたのを受け、「改革プラン」の実施にあたっての問題点を整理しました。実施にあたっては外部機関の専門家のご意見をお伺いすることも必要となり、新日本監査法人山形事務所長高橋一夫氏から財団運営に関する諸課題についてご指導を受けました。今回の会議で確認された内容はセンター運営の基本となる部分です。これからこの内容を視点に据えて実質的な運営の詳細を検討し、センター運営にかかわる様々な事業工程を見直して行きます。
河跡(SG1)東側の遺構の完掘作業に入りました。ここは石組みの柱穴や土坑が密集しているので、慎重に作業を進めているところです。
土壌の分析のため土を採取している様子です。土の中に含まれる花粉などを調べます。これらは当時の自然環境などを知る手がかりとなります。
今週の水曜日に基督教独立学園の皆さんが遺跡の見学にみえました。出土した遺物の説明に熱心にメモを取ったり、見聞きした遺構や遺物について質問が飛び交いました。
2間×6間の大きな建物です。2間×4間のSB1002と軸線を同じくしており、計画的な配置が読み取れます。
この土坑からは平安時代の初め頃の須恵器と礎板が出土しました。
先週もお伝えした炭の集中する箇所を更に深く掘り下げると、おびただしい量の土器や焼けた礫がでてきました。
写真の左側に1箇所、右側に2箇所、炭の集中する範囲が見られます。遺物も大量に出土しています。白いラベルの立っているところが遺物の出た場所です