
旧中学校の礎石の根固め石を掘り下げました。深いものでは5~60cmも掘りこまれていました。出土遺物や学校図面を精査したところ、前回お伝えした明治時代の荘内中学校ではなく、昭和14年に着工した鶴岡中学校に関係する遺構の可能性が高くなってきました。

石をベルトコンベアで流すと、石の落下音で授業の邪魔をしてしまいます。掘り出した石は一旦調査区内に仮置きしています。

石が溜まったところで、作業員、調査員が総出でベルトコンベアの一部となり、優しく石を搬出していきます。

旧中学校の礎石の根固め石を掘り下げました。深いものでは5~60cmも掘りこまれていました。出土遺物や学校図面を精査したところ、前回お伝えした明治時代の荘内中学校ではなく、昭和14年に着工した鶴岡中学校に関係する遺構の可能性が高くなってきました。

石をベルトコンベアで流すと、石の落下音で授業の邪魔をしてしまいます。掘り出した石は一旦調査区内に仮置きしています。

石が溜まったところで、作業員、調査員が総出でベルトコンベアの一部となり、優しく石を搬出していきます。

今週も遺構の調査を進めています。ここからはおちゃわんのフタが出土しました。形をみると、今から1200年くらい前のものです。

遺構のある場所は、周囲の土と色や質感が違うことでわかります。手前の遺構は円形で、半分を調査しています。残りの半分の形がみえますか?
出前授業12校目は酒田市立広野小学校です。小学校自体も≪大渕館跡≫という遺跡の上にあります。

土器石器を触ってみようでは、縄文人が木の実をすり潰すために使っていた磨石(すりいし)に感心。ちょうど手で握りやすい石を選んで使っていたようです。

弓矢体験では、みんな構えが様になっています。「今日の夜ご飯を確保する!」と意気込んで矢を打っていました。
出前授業11校目は村山市立大久保小学校。新しい校舎で冷房完備の体育館で、縄文服を着て出前授業を行いました。

石器で野菜を切ってみます。包丁と違って刃が両面についている石器、慎重に持って切っていきます。

縄文服を着て弓矢体験。服を着ていない時より、動物に命中しやすかな?
急に夏日が続くようになりました。出前授業10校目は山形市立第五小学校。山形市の中心街にある学校です。

講話で縄文人の生活の様子をしっかり勉強しました。学校の近くにも遺跡があることを知り驚いていました。

縄文服を着て縄文人体験です。復元した石器を持って、縄文人になりきりポーズです。

先週に引き続き、昨年度表土を掘削したC区北の遺構検出面の清掃を行いました。遺跡より西には、女鹿集落と日本海が望めます。

1次調査のB区と2次調査のC区東では、約3.5~2.8万年前の、県内で最も古い磨製石斧をともなう旧石器が発見されました。そのB区とC区東の間が未調査だったため、表土を掘削し、旧石器が出土する土層の上面検出を行いました。

17日には、鳥海山の火山研究の第一人者である、秋田大学の林信太郎先生の研究グループが、遺跡の北に隣接する猿穴溶岩の噴出した年代を調べるために、トレンチを掘削して堆積状況を確認する調査が行われました。

調査現場(写真中央)は、荘内神社の大鳥居(写真左)のすぐ近くです。鶴ヶ岡城二の丸の出入り口にあたる場所で、「馬出(うまだし)」という防御施設の堀と土塁が見つかると予想されます。

東西幅4mの狭い調査区で地表下3m近くまで掘り下げる可能性があるため、表土掘削前に長さ9m以上の矢板を圧入する土留工事を行いました。これで調査区壁が崩れる心配はありません。

仮設土留工事が終盤にさしかかってきたタイミングで発掘作業員の雇用を開始しました。来週から表土掘削を開始する予定です。

西側の調査区も表土除去が終了しました。石を詰め込んだ溝から奥側が堀跡と考えられます。七ツ蔵を囲む堀の西堀にあたります。

東側調査区では荘内中学校の礎石痕跡の掘り下げを行なっています。近代のガラスや陶磁器が出土しています。

今週は5区と6区の面整理と遺構検出作業を行いました。黒っぽい部分が遺構です。

測量事務所に基準点測量を外注しました。その基準点を基にして調査区にグリッド杭を設置しました。

遺構を検出した状況を写真で記録に撮りました。

5区の遺構検出状況です。面整理作業で近世や奈良・平安時代の遺物片が出土していることから、それらの時代の遺構だと思われます。掘り下げるとどのような遺物が出てくるのか楽しみです。

今週から遺構の掘り下げがはじまりました。どのようなものが出土するのか楽しみです。

調査区の土は乾くと固くなってしまうため、手を付けない場所はシートで覆っています。