現場も終盤戦に入りました。来週からは測量や写真撮影などの記録を中心とする作業を行います。
加藤屋敷遺跡(8月21日〜8月25日)
A区の井戸跡と思われる遺構です。今後、さらに掘り下げていきます。
B区の溝跡と思われる遺構を掘り下げました。水が出てくるため、作業員さんも掘るのが大変だったようです。
B区の溝跡と思われる遺構から、勾玉が出土しました。
檜原遺跡第1次(8月21日〜8月25日)
8月21日いよいよ調査が開始されました。これは鍬入式の模様です。炎天下の中行われました。
調査区は1,275㎡で南北に長く、途中用水路があるため、便宜上北側をD区、南側をE区としています。これは、面整理の模様です。地山は粘土混じりの砂でとてもかたく、作業も大変です。
面整理の後、遺構検出を調査員が行い、その線にそって白線がひかれます。これは、調査区全景を北側から写したものです。区画溝が南北に走っているのがわかります。
檜原遺跡第2次(8月21日〜8月25日)
床面が真赤に焼き締まっている遺構です。同じような遺構がもう2箇所で見つかっています。何に使われたのでしょうか。
古い川跡の一部を掘りました。川底から平安時代の土器が見つかりました。
矢馳A遺跡第3次(8月21日〜8月25日)
C区井戸跡調査状況 木枠の内部を掘り下げました。縦型の木枠内に、横木が渡されて固定されていることが分かりました。遺物は土師器の破片数点が出土しています。
岩崎遺跡(8月21日〜8月25日)
木組み井戸を半截しました。一辺が約40センチ程しかない小さな井戸です。深さも30センチ位なのですがきちんと水が湧いてきます。
岩崎遺跡の全景です。夏の日差しも段々弱まり、少しずつですが秋の風景に変わりつつあります。
行司免遺跡第3次(8月21日〜8月25日)
性格不明の遺構が検出されました。板材を使用しています。
発掘調査は次の段階に入ろうとしています。今までよりも更に古い時期にさしかかりました。地面を削ったところ大量の遺物が出土しました。箸の立っている箇所が遺物の出た箇所です。
興屋川原遺跡第3次(8月21日〜8月25日)
F区では南北棟の1001号、1002号から離れた位置に、軸線を同じくする2棟の東西棟の建物が見つかっています。その掘り方を精査している様子です。
1001号の掘り方より少し小さくなりますが、梁行き2間、桁行き4間の掘立柱建物跡です。1001号建物跡の北に隣接する、おそらく同時期の建物と考えられます。
F区で見つかった梁行き2間、桁行き3間以上の大きな掘立柱建物跡です。建物の半分は調査区外となっています。
中山城跡第2次(8月21日〜8月25日)
引き続き縄文調査区を掘り進めています。今週から新しい区域を調査します。写真は、遺構を検出したところです。
縄文調査区で検出した細長い遺構を掘っているところですが、あまりの深さで、はいつくばって掘らないと手が届きません。
とても小さなピットから、縄文土器や多くの炭化したクリの種子が出土しました。何に使った穴でしょうか?
天王遺跡(8月21日〜8月25日)
B区の調査も大詰めです。幅1〜2m程の溝を皆で掘り下げました。
幅30センチ程の溝が4〜5本並んで見つかりました。このようなまとまりが数ヶ所見つかっています。畑の跡と考えられます