
日本の後期旧石器時代の石斧研究に造詣が深い、早稲田大学の長﨑潤一先生が、本遺跡の調査・研究に関する調査指導のため、現地にいらっしゃいました。調査事務所にて、出土した石斧やほかの石器資料に関して、様々なご意見を伺うことができました。

長崎先生からは、これまで発見された同時期の遺跡に比べて、本遺跡が海に近かったり、鳥海山の溶岩地形に立地することが、非常に特徴的であることを指摘されました。

蒸し暑い梅雨空の中、C区北の遺構の精査を行いました。

遺構精査では、まず遺構のなかにある地層を半分だけ掘り下げ、どのように遺構が埋まっていったかについて調べます。そのあと、写真撮影や三次元計測用の写真撮影、土の性質について記録していきます。記録が終われば、残りの土を掘り下げて完掘します。

調査区の環境が整ったところで、重機による表土掘削を実施しました。調査区が狭いので、比較的小型の重機でも調査区幅の半分以上がふさがってしまいます。

バックホーのバケットが届く4~5mずつ調査区幅の半分だけ掘り、土層断面の記録後に残り半分を掘り下げていきました。

表土除去が完了した場所から、人力で丁寧に土を削り、遺構がないか確認していきます。

礎石の根石を全て掘り上げました。いよいよ堀跡の調査に入ることができます。根石を埋めるために掘りこんだ穴の壁面や底面の土の状況から、堀の範囲が推定できます。

調査区を地中側から見てみました。土の柱のように見えるのが掘りこんだ穴です。土が黒っぽい範囲が堀跡と考えられます。堀にあたる部分は地盤が悪かったためか、より深く掘りこんで根石を入れていたようです。

西側の調査区でも堀の範囲や深さを確認するためのトレンチを設定しました。人が集まっているあたりで堀の西側の立ち上がりが見つかりました。写真手前側の調査区端まで堀が広がっているようです。

堀西側立ち上がり付近の最下層から白磁の皿が出土しました。この他、17世紀前半頃を上限とする陶磁器が出土しています。

5区北側の調査も終盤です。暑い中、遺構精査と記録をどんどん進めました。

近世の石組遺構の断面観察用ベルトを外していると、磁器の小皿が2点出土しました。

この遺構からは強い火をたいたあとと、それにつながる掘り込みがみつかっています。中からは鉄が溶けたかすが出土していますので、鉄を加工する施設ではないかと考えています。

川のあとのような場所からは、平安時代の土器の破片がたくさん出土し、当時の洪水で流された様子がうかがえます。
7月に入り出前授業もラストスパートです。
14校目は上山市立上山小学校。上山城の武家屋敷に囲まれた小学校です。

本物の土器や石器にはじめて触れます。同じ上山市内に埋蔵文化財センターがあることもはじめて知った子もいましたよ。

石器で野菜切りでは、みょうがの葉を切りました。
やっぱり普段使っている金属の包丁の方が使いやすいそうです。
暑い日が続きぐったりしていますが、
小学校の昼休み、子供達は元気に追いかけっこ。
出前授業13校目は山形市立滝山小学校です。

山形市内では児童数が3番目に多い学校で、6年生は116名4クラスです。開閉会の行事の司会から、クラスの誘導まで全部自分たちでしっかりこなしていました。

暑い中ですが、弓矢体験は大盛り上がり。お互い教え合いながら、動物たちを倒していました。

今週は5区北半分の遺構精査と記録作業を行いました。

遺構を半分掘って(半截)、図面や写真などに遺構の堆積状況を記録します。

記録が終わったら、残り半分も掘り下げます。

C区北の遺構検出状況を、ドローンを用いて撮影・記録しました。C区北では、縄文時代や平安時代の遺構が確認されています。

C区東に残る旧石器が出土する調査区では、旧石器が出土するローム層の上面に杭跡などの遺構が確認されたため、遺構の精査を行いました。

その旧石器の調査区からは、昨年度出土した県内最古の磨製石斧と同じ石材の石片が出土しました。石片の表面には研磨面が認められます。残念ながら、石斧と接合はしませんでしたが、水林下の地で、石斧のメンテナンスを行っていた可能性があります。

仮設土留工事のほか、調査区の環境整備を進めました。単管パイプで足場を組み、安全施設として仮囲いを設置しています。

電柱から電線を引き込んでコンセントボックスを設置しました。これで水中ポンプを使った調査区の排水が可能になります。

測量で使用する基準点の設置も実施しました。設置作業中は重機の振動等で誤差が生じないように、手掘りで表土を掘り下げています。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research