
1区の南側では、土器片や石器などが集中して出土しました。

出てきた土器片や石器などの位置について、写真を撮り、さらに座標を記録しました。
その後、これらの土器片や石器などを慎重に取り上げていきました。

1区南側の遺物集中部のなかには、縄文時代の終わりころに使われたと考えられる、
土器片が出てきました。

1区南側の遺物集中部は、黒い土の範囲に限られることがわかりました。

現在の調査区も、調査終盤に差し掛かってきました。
図面や写真撮影が終わった遺構から、次々と完掘していきます。

学芸員資格取得のために、うきたむ風土記の丘考古資料館に博物館実習に来ている学生が、
実習の一環として、発掘調査の体験に来ました。
はじめに調査主任から遺跡や発掘調査についてのレクチャーがあり、
その後、実際に調査区内にて遺構の精査を行いました。
どの学生も、みな真剣に取り組んでいました。

11日(土)に馳上・西谷地b遺跡の発掘調査説明会を行いました。
大勢の歴史ファン、地域の皆様方、報道関係者が来跡され、
これまでの調査成果の説明や報告に熱心に耳を傾けていました。
なお、発掘調査は11月中旬まで続きます。

重機を使って、大きく表土を削っていきます。
黄色い土が一気に姿を表します。

トレンチ(試し掘り)の中から土器がまとまって出土しました。
これはほんの一部です。

これもトレンチの中で出土した石器です。
鋭い角が見てとれます。

河川跡の遺構検出を行いました。
場所によって、土の種類(砂・粘土)や色に違いがみられます。
おそらく、何時期かに亘って、流れをかえたことで堆積した土に違いが生じたのでしょう

河川跡の北側で、柱穴(ちゅうけつ)が約20基みつかりました。
直径30~40cmの穴です。
柱を規則的に建て並べた建物の存在が考えられます。

カマド跡(EL79)から、土師器片・黒色土器片が出土しました。

竪穴住居跡(ST68)の床面(貼床)の剥がしを行いました。
カマド付近の貼床下部から、土師器片が数点出土しました。

竪穴住居跡(ST68)の完掘写真撮影をしました。

調査区(5区)の完掘写真撮影をしました。
今月10日をもって、5月23日から始まった発掘調査は無事終了しました。
ありがとうございました。

先週に引き続き、川跡(SG02)の精査を行いました。
遺物も続々と出土しています。

木製の鍬(くわ)の刃にあたる部分が、調査区の壁沿いから見つかりました。

鋤(すき)も川跡上層から出土しました。
鍬(くわ)、鋤(すき)いずれも古墳時代の農耕具だと考えられます。

C-2区の遺構の完掘状況です。

D-2区からは、竪穴住居跡が見つかり遺物も出ました。

石製の紡錘車(糸をつむぐための道具)が出土しました。
直径10cmほどで、中央に棒を通すための穴が開いています。

広い範囲に石が敷き詰められた遺構から、古銭が9枚まとまって出土しました。

石が詰め込まれた遺構から板碑(中世の供養塔)が出土しました。
この他にも同じ遺構から3点の板碑破片が出土しています。

1区の地層の重なりを調べるため、西壁に沿ってトレンチを掘りました。
その結果、1区は最上川の氾濫によって、たびたび土砂が運ばれてきていたことがわかりました。

トータルステーションという測量機器を使って、1区全体の平面図を作成しました。

竪穴住居を掘り下げていたところ、完形の土師器の坏が出土しました。
今後、出土した坏を取り上げ、土器の年代や形状(型式)の検討・分析を行っていきます。

その竪穴住居の遺物検出状況の写真です。
残念ながら、かまどの跡は削平を受けて残っていませんでしたが、
完形の坏以外には、土師器の高坏(たかつき)や甕(かめ)がつぶれた状態で出土しました。

河川跡の掘り下げを行いました。
遺物の出土が見られないため、河川の年代は不明ですが、
川底からは10~20cm程度の川原石がぎっしりと検出されました。
Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research