出前授業:山形大学附属特別支援学校(12月16日)


今年度最後の出前授業は山形大学附属特別支援学校です。中等部の生徒たちが『大昔の人々のくらし』を勉強し、色々な体験活動を行いました。


数千年前に山形で暮らしていた縄文人が使っていた道具に実際に触れてみます。本物の縄文土器や石器に触れる貴重な体験になりました。


火起こし体験を行いました。最初はマイギリの使い方に悪戦苦闘しましたが、あっという間に使いこなしていました。さすが中学生、火が付きにくい冬場ですが、火を起こすことができました!


避難訓練を行いました


火災を想定した避難訓練を実施しました。火元を確認して出火場所と状況を連絡します。


館内アナウンスで火災発生を連絡のうえ、初期消火及び避難を呼びかけました。


出火に気づいた職員は直ちに初期消火に当たりました。


火災警報により閉鎖した防火戸の扉を抜けて避難しました。


逃げ遅れた人がいないか、持ち場を最終確認します。


この日はあいにくの雨模様だったため、室内に自衛消防本部を設置しました。人員点呼して全員の避難完了を確認しました。


水林下遺跡第2次(11月29日~30日)


今年度の調査が終わり、使った器材についた泥などの汚れを、丁寧に洗い落しました。


現場周辺の器材の撤収や農道の補修も終わり、旧石器が出土したC区東側を埋め戻しました。


最終日には、上山市にある埋蔵文化財センターへ搬入する器材をトラックに積み込みました。積み込んだのち、トラックは出発し、センターへと向かいました。


今年度のすべての作業が完了し、全員で労をねぎらいながら、解散となりました。水林下遺跡第2次発掘調査に携わった皆さま、そしてご協力いただいた皆さまに、御礼を申し上げます。


水林下遺跡第2次(11月22日~26日)


秋田大学の林信太郎先生が8月に続いて現場へお越しなり、鳥海山の火山噴出物の岩石や旧石器時代の石器が出たローム層などのサンプルを採取されました。


先週は雨やアラレが降ったりと、大荒れの天候の中の調査となりました。みんな、泥だらけになりながら頑張りました。


掘り下げ作業は、金曜の午前10時まで行いました。最後の最後まで石器が出土しました。今年度では300点余り、昨年度と合わせると450点近くの石器資料が採集されました。


掘り下げが終了したあとは、現場においてある器材の撤収や調査区の埋め戻しを行いました。今年度の調査も、残すはあと2日になりました。


水林下遺跡第2次(11月15日~19日)


雨が降る中、堆積層を観察するために残した土手状のベルトを崩していきました。


石器がたくさん出土した地点のそばのベルトの中からも、続々と石器が出土しました。


2000年に発覚した「前・中期旧石器ねつ造事件」ののちに行われた検証発掘では、埋め込まれた石器の下には埋め込んだ際に使用した工具の跡など、不自然な痕跡が残されていることがわかりました。そのため、水林下遺跡の調査では、ねつ造された石器ではないことを示すために、石器の下の跡形である「インプリント」の記録も行いました。


調査も終盤になり、遺跡の全景写真をドローンを使って撮影しました。掘る作業は、実質あと1週間ほどになりました。


水林下遺跡第2次(11月8日~12日)


雨天が多かった一週間だったので、好天に恵まれた月曜日は、たいへん貴重な1日でした。


月曜日からは、水林下遺跡第2次発掘調査の現場公開が始まりました。見学に訪れたかがたは、3万5千年前の石器が出土している状況を目の当たりにして、大変驚かれた様子でした。


石器の出土位置を記録するために、出土した石器を中心として、数cm範囲を残し、土の柱として残して周囲の掘り下げを行います。写真や座標計測をした後で石器を取り上げ、土の柱をまた石器が出ないか崩すのですが、この日はその柱から後期旧石器時代前半期に多く現れる「台形石器」が出土しました。意外な場所から出土したので、大変驚きました。


水林下遺跡第2次(11月1日~4日)


連日雨が降り、泥をかき出しながらの調査となりました。


透閃石岩(とうせんせきがん)製で、裏側に研磨痕がある剥片が出土しました。これも、もともとは磨製石斧だったことが考えられます。先日発見された石斧とは異なる母岩のようで、石斧がもう一つあったことが示唆されます。


玉髄というガラス質で半透明な石材から割り出された、大きな剥片が出土しました。水で汚れを洗うと、きれいな色合いの石器に見えます。


山形で初めて後期旧石器時代前半期の磨製石斧が発見されたこともあり、県内外の旧石器を研究者が見学に来ました。


山形城三の丸跡第22次(10月25日~29日)


調査は最終週となりました。2区南では色々と検討しながら掘り進めた結果、壁際に柱穴のある大型の竪穴建物が見つかりました。半分が調査区の外に延びています。一辺は長いところで8m以上あります。


4区でも一辺が8mほどある竪穴建物が見つかりました。壁際に溝が掘られています。4区では平安時代の遺物が多く、2区南側調査区では奈良時代の遺物が多く出土しています。遺構の年代や性格については整理作業で検討していきます。


最後に調査で使用した器材をトラックにのせて、センターに持ち帰り、調査終了となりました。


水林下遺跡第2次(10月25日~29日)


長年、石器の石材について研究されている明治大学黒耀石研究センター客員研究員の中村由克先生が現場にいらっしゃいました。先日出土した磨製石斧について、顕微鏡観察や帯磁率測定などの分析が行われ、北陸産の「透閃石岩(とうせんせきがん)」ということが判明しました。この石材は、東北地方では3例目で、直線距離で約300km以上遠く離れた場所から来たことが判りました。なぜ、この透閃石岩製磨製石斧が水林下遺跡にあるのかについては、今後の検討課題となります。


連日のように雨が降り続きました。前日に溜まった雨水を排水し終えて、やっと発掘調査が始まります。


排水が終わり、旧石器が出ると予想されるⅥ層を鎌で削ると、黒っぽくてつるつるした珪質頁岩(けいしつけつがん)という石を素材にした剥片(はくへん)が顔を出しました。剥片は、石塊に川原石などのハンマーで叩いたときに割り出される石片のことを言います。


C区北側の東端には、縄文時代と思われる遺構がありましたので、より東に遺構が拡がっていないかどうか確認するために、重機による表土掘削を行いました。


水林下遺跡第2次(10月18日~22日)


引き続き旧石器が出土する予想範囲の調査を行いました。連日のように降ってくる雨に悩まされながらの調査となりました。


旧石器が出土するローム層から、磨製石斧が出土しました。日本では、3.8万年から2.9万年前にあたる後期旧石器時代前半期では、刃の部分を研磨する「刃部(局部)磨製石斧」がよく出土するのですが、これまでに県内では発掘調査による出土例がありませんでした。出土した磨製石斧は、残念ながら破損したものですが、山形県内では初の事例となります。そして、県内最古の磨製石斧でもあります。今後、用いられた石材や製作技術、破損の状況などについて、詳細な分析を行う予定です。


段々と日が短くなっていくのを、1日の作業を終え、調査事務所に戻りながら感じます。遺跡そばの女鹿漁港からは、日本海に落ちていく夕日をみることができます。


Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research